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連載 ひのたにの森から~救護の日々 ④

      御代田太一(社会福祉法人グロー)

救護施設にたどり着く人たち

ひのたに園には、いろんな人がやってくる。年70人。それぞれの理由と事情で、救護施設にたどり着く。

最も多いのがホームレス。
「ホームレス」と聞けば多くの人が、駅や公園で寝袋や段ボールで暖を取りながら寝ている姿を思い浮かべるかもしれないが、事情は人それぞれだ。きっかけは派遣切りなど収入が断たれたケースが多いが、ホームレス期間は人によって数日~数年と幅がある。

路上だけでなく、ネットカフェやスーパー銭湯、車の中で暮らしていた方も「安定的な住まいを失っている」という意味で、入所経緯としてはホームレスに数えられる。

次に多いのが病院の退院者。突発的なけがや病気で入院し、治療やリハビリは終えたものの、入院中に仕事がクビになっていたり、家族と縁が切れていたりして、帰る場所がないという方。

また、自死を一度決意した人も少なくない。山に登ったけれど死にきれず交番を訪れた人、車に乗ったまま火をつけたけれど燃える前に逃げ出した人など、3年の間に何人も出会った。

他にも、刑務所を出た人、DVから逃げてきた若者、挙げればきりがない。

そんな人たちが訪れる最後のセーフティネットとしての救護施設。困っている人に救済の手を差し伸べる究極の福祉のように映るが、入所する本人からはどう見えているのか。

ある時、6年間の路上生活を経験して、62歳でひのたに園に入所した丸山さん(仮名)に話を聞いたことがある。

正面入り口

ひのたに園の正面入り口。左手が居住棟、右手が事務所。


殺されるか思うたわ!

丸山さんは路上生活をしているある日、「丸山さん、生活保護っちゅうの知っとるか?」と路上生活で出会った若い仲間に聞かれた。

当時、生活保護のことは知らなかったが「草津の市役所行ってみ」という彼のアドバイスに従って、荷物を全部持って市役所の福祉課を訪ねた。丸山さんはその日の市役所担当者とのやり取りを、身振り手振りを交えて再現してくれた。

ー仕事はしてたんですか?
―6年前からしてません
―えー、丸山さん、でもな6年間も何しとった。仕事とか、職安とか行ってなかったんか?
―この歳であるかいな仕事なんて
―でもこの6年間のお話を聞かせてくれないとねぇ
―はっきり言うわ、ホームレス。ホームレスしとりました!
―ホームレスですか、でもお風呂や食事、それにお金は?
―家族に金借りたりな、コンビニの弁当貰って食うたりしとりました
―あー、ご家族がいるんですね、それでつじつまが合いますね

生活保護の窓口では、相談に来た人の生活実態や資産状況、就労の可能性、家族関係などを丁寧に聞き取る。相談者のニーズを把握して適切な対応を検討するためでもあるし、不正受給を防止するためにも必要なプロセスだ。

ただ、福祉のサービスなど今まで受けてこなかった丸山さんにとって、その日に会った市役所の担当者に自分の生活について根掘り葉掘り聞かれることには抵抗もあっただろう。その分、当時のやり取りをよく覚えているのかもしれない。そして市役所でしばらく待っていると、「ひのたに園」を紹介された。

「1名行きますけど、いいですか~?って連絡しよったわ。ほんで、『ひのたに園ってありますねん、ここしかありませんかねぇ』っていきなり連れてきよったわ。直通や!こんな竹とか藪とかあるところに、なーんも言わずに、殺されるかと思うたわ!笑」

冗談交じりで当日の緊張を語ってくれた丸山さんだが、「セイカツホゴ」という言葉を頼りに「シヤクショ」を訪れたら突然「キュウゴシセツ」に連れてこられる道中では、言いようのない不安や恐怖、寄る辺のなさがあったに違いない。

それから8年間ひのたに園で暮らしている丸山さんに、いつかはアパートで独り暮らしをしてみたいですか?と尋ねると「わしもいつか出なあかんのか?ずっとここにおらしてほしいわなあ」という返答だった。

救護施設を去っていく人々

年間70人の入所があれば、同じだけの退所がある。寮付き派遣の仕事を見つける人、自宅に戻る人、アパート暮らしを始める人、家族の元へ戻る人、グループホームに移る人、こちらも様々だ。

入所期間の定めはない。入所後数日で自ら仕事を見つけて出ていく人もいるが、多くは数カ月~数年をひのたに園で暮らす。その間に健康的な生活リズムや前向きな気持ちを取り戻しながら、通院や服薬を通じて病気やけがの治療も行う。

保証人がいない場合はアパート契約のため家賃保証契約に申請が必要だし、障害福祉サービスを利用するなら手帳を取得する必要がある。借金がたくさんある人は、自己破産手続きを済ませて借金を整理する。

こういったサポートを、利用者ごとに作成する「個別支援計画」に基づいて進めていくわけだが、支援者の思惑通りにいかないケースもたくさんある。

ある日、40代の女性が突然退所することになった。明日、彼氏が迎えに来るとのことだった。島崎さん(仮名)という女性は、仕事を見つけるまで軽作業を通じて仕事の基本や生活リズムを整えよう、という計画を立てて、円満退所を目指していた方だった。

軽い知的障害があって、交際していた男性から金銭の搾取や暴行を受けていた経過もあったため、彼氏とは縁を切って新しい生活を始めようとも話していた。

なのに、その彼氏が迎えに来るというのだ。利用者が退所の希望を明確に示したなら、施設側は説得することは出来ても、強引に引き留めることは出来ない。

彼女も説得には応じなかった。

退所の前日には「先生!今までありがとうございました。私、明日ここを出ることになったんです!」と嬉しそうに挨拶をしてくれた。

後ろめたさのない、明るい笑顔だった。

退所の際には、利用者が希望すれば、園内放送をして他の利用者にお見送りに来てもらっている。彼女も放送を希望し、退所時には多くの利用者が玄関にやってきた。そして彼女を迎えにきた軽トラックに乗っていたのは、スキンヘッドの大柄な男性だった。

「島崎さん退所するんやね。知らんかったわ!元気でね」
「皆さん、ありがとうございました!みんなも元気に過ごしてね~」

利用者と職員総出で、トラックに乗り込む彼女を見送る。一見感動的な別れだが、職員たちは無力感に浸っていた。

「その男についていったら、また同じ嫌な目に合うのではないか」皆がそう思っていた。

しかし彼女にとっては、その男性こそが自分を受け止めてくれる唯一無二の存在で、自分らしくいられる相手なのかもしれない。支援員としての常識的で合理的なアドバイスや支援は、彼女の瞬間的なエネルギーに全く追いついていなかった。

いなくなったら、探すのか、探さないのか。

島崎さんは事前に伝えてくれたから良いものの、何も言わず荷物をまとめて施設を後にする人もいる。

夜中のうちに出ていく人の場合は、毎朝5時の見回りで職員が気付く。高齢者や障害者の施設だったら、利用者がいないとなれば大騒ぎだが、救護施設ではこういうケースが時々ある。

だから「もしかしたら、この人は突然いなくなるかもしれない」と思われた時点で、生活能力が高い人については「もしいなくなっても、探さない」というルールを共有する。

元から去る気でいたのか、施設生活が想定と違ったのか、理由はわからないが、そういう人にとって救護施設は、タダで泊まれるホテルくらいの存在なのかもしれない。

ある日の勤務終わり。自宅近くのスターバックスで過ごし、23時の閉店とともに帰宅しようと外へ出たら、見慣れた顔の男性がすれ違った。よく見ると、ひのたに園で「外泊届」を出したきり、1か月以上帰園しておらず、すでに退所扱いになっていた加藤さん(仮名)だった。

驚いたが、思わず声をかけた。

スタバ

自宅近くのスターバックス


―加藤さん!ですよね。
―え、だれ?
―あ、御代田です。ひのたにの。
―あー、御代田さんか。久しぶり。何してるのこんなとこで。
―いやこっちのセリフですよ(笑)。ひのたにには、もう戻らない感じですか?
―あー、そうだね。みんなによろしく言うといて
―これから、どこに?
―知り合いの家がこっから歩いて40分くらいであるから、そこに。
―そうでしたか、、お気をつけてください。加藤さんは元気にしていたと、みんなに伝えておきますね
―うん。それじゃあね

そう言って、大きなリュックを背負った加藤さんは夜道に消えていった。

無断での退所を責めたい気持ちにもなったが、衣食住が整っている施設とは違い、加藤さんは剥き出しの社会をサバイブしている。

夜道に消えていく背中は、施設の中で「利用者」として接していた時とはまるで違って見えた。
                   
                   つづく


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みよだ たいち
1994年神奈川県横浜市生まれ。東京大学教養学部卒。在学中、「障害者のリアルに迫る」ゼミの運営や、障害者支援の現場実習、高齢者の訪問介護などを体験する。卒業後、滋賀県の社会福祉法人に就職し、救護施設「ひのたに園」にて勤務。

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