母の不思議な肉料理
わたしの母は、特に料理が上手いということはない。
だけど、一般に「家庭料理」とされているものはたいてい作ることができたし、調理に関しての、ちょっとしたコツを知っていたりもした。
母は元祖「ホームワーキング」の人で、自宅でずっと働いていたのに、よくそんな時間があったなぁ…と思うくらい、食事はきちんと出してくれていた。
とはいえ、母と子ども(わたしと弟)だけの食事(たとえば土曜や夏休みのお昼ごはん)には、インスタントラーメン、アルミ鍋に入ったでき合いのうどん、残ったごはんを冷蔵庫のものと炒めただけの「焼き飯」、前夜の残りもの、買ってきたパンや惣菜なんかの「ちょっと、手抜き!」なものもよく出てきた。
まあ、ごくふつうの「おうちごはん」だ。
記憶に残っている「母の味」はいくつかあるけれど、その中でわたしが「不思議だ」と長年にわたって思っていたのは、とある肉料理だった。
カレー用として売られている、親指の先くらいの大きさの角切りになっている豚肉の肩ロースに下味を軽くつけ、衣を厚めにつけて揚げたもので、それらはレタスやキャベツの千切りなんかを添えて、大皿にざっくり盛ってあった。
揚がった肉を食べる時には、小皿に塩と胡椒を混ぜ合わせたものに、ちょんちょんとつけて、食べる。
決して、ソースやケチャップや醤油ではなく、塩と胡椒を混ぜたもの。
でも、子どものころも、成人してから外食するようになってからも、どこでもそういう料理を見たことがなかった。
母のオリジナルなんだろうか…とも思ったが、味付けが「塩と胡椒を混ぜたものだけ」というのがあまりにもいさぎよすぎて、どことなく外の食事の匂いがあって、不思議だった。
若い頃の母は、進駐軍関係の勤めをしたり、政治活動をしていた有名人とも付き合っていたことがあって、いろいろと外食の経験があり、老舗の逸品、みたいなものもよく知っていた。
だから「外で覚えてきた料理なのかな」と、うっすら思っていた。
そして実家を出ることで、あの「不思議な肉料理」を食べなくなって数十年。
ある日、「老舗食堂」さんの記事を読んでいて、京都の中華料理屋さんのメニューの中に「豚の天ぷら」というものがあることを知った。
まさにこれだ。
この衣の感じは、玉子と片栗粉を衣にして揚げた豚肉のように見える。母が作ったものと、とってもよく似ている。
添えられているのが塩と胡椒を混ぜたもの、というのもまったく同じ。
このお店のものはグッと大きいが、母が使ったのは家庭料理だったこともあって安価な「カレー用にカットされたブロック肉」だったのだろう。
実家の食卓以外でこの料理を見たのは初めてなので、すごく驚いた。
しかもそのお店があるのが京都、ときているし。
実は、母は京都の出身なのだ。
とはいえ市内ではなく、海の方。20代前半で東京に出て、それ以降は関東で暮らしている。
この「老舗食堂」さんは、100年ほどを目安に「老舗」と規定していろんなお店を紹介してくださっているので、このお店も「老舗」ということになるだろう。
かの女は「お父さん(わたしの祖父)とお兄ちゃん(わたしの伯父)と、時々、市内へでかけたことがある」と言っていたから、母の年齢を考えても、もしかしたら、子どものころにこのお店で食事をしたことがあったのかもしれない。
そしてよく考えたら、これは四川でよく作られ、子どものおやつにもなるという料理「酥肉(スールー)」にそっくりだ。
だから、中国料理の店で出てくることに不思議は感じない。
わたしが持っているレシピでは、酥肉(スールー)は豚バラ肉で作るけれど、わたしが食べた感じ、そして作るところを見ていた記憶から「カレー用のお肉」と思っていただけで、母も安価な豚バラ肉のかたまりを切って作ったことがあったかもしれない。
本当のところは、母に訊いてみなくてはならないけれど、なんだか長年の不思議が解き明かされたようで、面白かった。
「豚肉の天ぷら」という発想はそれまでになかったので、「そうか!」という驚きがあって嬉しかった。
母の天ぷらは関西風で、揚げ衣に玉子をまぜなかったから、余計にそう思っていたのかもしれない。
わたしも今度、自分の「不思議な肉料理」を作ってみよう。
もちろん、食べるときは塩と胡椒だけで。
レタスかキャベツの千切りを大盛りにして。