「コミュニティ観」を育むということ
こんにちは。
コミュニティフリーランスの長田(@SsfRn)です。
先日、こんなツイートをしました。
今回は、ここに書かせてもらった「コミュニティ観」について考えていきたいと思います。
コミュニティ観とはなにか?
いきなり「コミュニティ観」といわれてもピンとこない方もいらっしゃると思うので、そこから考えていきたいと思います。
人生観や宗教観といったように、〇〇観という言葉がさまざまなところで使われていると思います。
この定義からから考えていくと、その対象に対して、どう考えて認識しているのか?ということになりそうです。コミュニティ観となると、「コミュニティに対しての考え方や認識」となり、わかりやすく砕くと「コミュニティにおいて大事にしていること」とも言えそうですね。
なぜコミュニティ観が大切なのか?
僕はコミュニティに関わることにおいて、コミュニティマネジメントスキル以上に大切なのが、このコミュニティ観だと考えています。
スキルに注目するひとが多いし、それを求めるひとも多いのですが、このスキルは結局あとからついてくるもの。気がついたら身につけているケースが多いと思っています。
スキルは結果として表面化したものだという捉え方をしていて、その内側にあるものから滲み出ているような感覚を持っています。
スキルにつながっている、いわゆるコアみたいなものこそが、コミュニティ観。だとすると、コミュニティ観を育んでいくことの重要性は計り知れません。
「スキルを広げていきたい。深めていきたい。」「最高なコミュニティを追求していきたい」と考えた時、コアの大きさや色に比例して、そこの限界値が決まってしまうから。
コミュニティを仕事にして成果を出したいと考えている方にとっても、コミュニティを通じた豊かさを追求したい人にとっても、どんなコミュニティに関わっているのかも関係なく、すべてのコミュニティに関わる方に通ずる話だと思っています。
大事なのは双方の行き来
また、スキルを磨けるのは、結局現場なんですよね。
対話やワークショップやイベントでは、正直スキルを磨くことはなかなか難しい。手に入れられるのはあくまできっかけにすぎず、実際に磨く作業は、現場で実践していくなかで生まれていくものだと思うんです。
ただ、現場だけだと、一面でしかコミュニティを捉えられない環境なので、コミュニティ観を育むのが難しいところもあると思っていて。
大事なのは、「コミュニティ観を育める環境」と「スキルを磨く現場」の行き来なんじゃないかなと考えています。
その双方を自分のなかで確立し行ったり来たりすることで、よりコミュニティへの解像度が上がっていき、コミュニティマネジメント力も向上していく。
その結果、その人がイメージしている「こういうコミュニティマネージャー・コミュニティ実践者になりたい」に近づけるんじゃないかなと思っています。
間に存在するコミュニティリテラシー
ここまでの話を「議論メシ」主宰の黒田さん(@chlorine0528)としていたときに、こんな話をしてくれました。
リテラシー。(ここでは、コミュニティに関するリテラシーなので、「コミュニティリテラシー」と呼んでいこうと思います。)
リテラシーってなんだ?と調べてみたところ、
とのこと。
理解能力というのはとてもしっくりくる表現だなと思いつつ、コミュニティリテラシーという存在の役割は、コミュニティ観とスキルの橋渡し役のようなものなんじゃないかなと捉えています。
コミュニティ観をいきなりアウトプットに出すのって難しい。でも、知識が増えて自分のなかに落とし込める理解能力が向上すること=リテラシーを高めることで、その階段がなめらかになっていくんだなと。
図にまとめるとこんな感じ。
最後に
ぼんやり思っていたことが、ようやく言語化できたような気がします。
僕はずっとスキルを磨くこと以上に、このコミュニティ観を育む重要性を伝えてきたつもりでしたが、その背景がようやく整理できました。
今現在取り組んでいることも、この先に取り組んでいくことも、きっとこの部分に関わることになっていくんじゃないかなと思います。
ちなみに、まさに今コーディネーターとして関わっている「コミュニティのカレッジ」こそが、コミュニティ観とコミュニティリテラシーを育む場になっています。
興味ある方はぜひチェックしてみてくださいね。
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