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改めて「文章」に向き合ってみて感じたこと

僕が文章というものを書き始めたのは、きっと3年ほど前のことだと思う。

大学生の頃から、Facebookが好きで、よく投稿を繰り返していた。これは文章と呼ぶには程遠く、とにかく言葉を並べただけの日記みたいなもの。

それから社会人になり、「ブログ」をやっているという友人と出会った。彼は複数のプラットフォームでブログを書いており、それがなぜか非常にかっこよく感じた。その時は言葉にできなかったのだが、今考えれば「表現」していることに対しての魅力を感じたのだと思う。

「文章であれば僕でも書けるかもしれない、、」

そんなことを考えて、友人の勧めも受け、Livedoorブログのアカウントを開設したのが僕の文章のスタートラインだ。

初めは何を書けばいいのかさっぱりわからなかったが、月に1本ぐらいのゆったりとしたペースで、気ままに書いていた。たしか、フレスコボールのことをよく書いてたっけ。その頃から、人の文章を読むようにもなったと思う。

この頃は、文章を通じて何かがしたかったわけではなく、ただただ「表現」というものをやってみたかっただけだった。ただ、周りではその「表現」をした結果、何かを生んでいる人もいて、どこか羨ましく思っていた自分もいたかもしれない。


2018年1月1日。

僕はこの日を境に、「コミュニティを仕事にする」と自分との約束を交わし、最低でも週に1本はnoteを書き続けると決意した。

その時の自分には、文章で自分の考えていることや専門知識を伝えることしかなかったから。その結果何かが生まれるかは、この頃よく理解していなかったけど、「とにかくできることをしたい」その一心で書き続けた。

週1のペースが週2になり、週3、4,,,気がついたら毎日更新に挑戦していた。書くことは好きになっていたけど、毎日更新は正直苦しくて、1ヶ月後には終了していた。

肝心の約束の方は、noteを見てくれた方からTwitterを通じてご連絡をいただくことが生まれていて、仕事の依頼が来て、実際にこうしてコミュニティを生業としたフリーランスとして生きていくことにまで繋がった。

文章で伝えることの価値を、僕のこの時強く実感した。自分の言葉で紡ぐことで、誰かに届き、そこから新たな価値が生まれる経験をした。それが最高にわくわくして、改めて書くことが好きになった。


そんな経験をした僕は、今では価値観を曝け出すように文章を書いている。専門知識より、僕という人間が何を考えて、何を感じて生きているのか?そんなことを書いている。

それは、新しく生まれることの質を高めていきたいから。「価値観の共感」を僕はどうしても無視できない。それがあった上で、新しいものを一緒に生んでいきたい、そんなことを考えている。

だからこそ、大事にしていることを出し惜しみせずに書くし、時にはドロドロした自分の嫌いな感情も文章にする。そうすることで、僕自身もその感情に向き合えるし、素の僕を知ってもらえる。

半年以上前にこんなnoteを書いた。

言葉や文章が合う合わないってやっぱり存在すると思う。なんとなく読みにくいなとか、すっと入ってくるなとか、そんな感覚を僕は感じることが度々ある。

それは、その言葉や文章は、その人の価値観が乗っかっているからだと思う。それまで体験したこと、感じたこと、考えたこと、それらが文章として表現されている、そんな気がしている。だからこそ、この「言葉が合う」ことは大事にしていきたいなぁと思っている。


正直、僕は「文章」を上手くなろうという気はあまりない。だけど、自分のことを伝えられるようにはなりたい。自分らしい文章は書き続けたい。自分の体温をのせていきたい。

まだまだこれからな部分が多いけど、そんなことを考えて書き続けていきたいなと思う。難しいけど、これからも文章とは向き合っていきたいなと。動画の時代と言われているけど、やっぱり僕は文章が好きなんだよ。


もし、少しでも僕の気持ちに共感してくれた方がいたら、ぴったりなイベントをWasei Salonでやります。僕も参加するので、よかったら一緒に「文章」と向き合ってみませんか?

それでは!


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