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いいところを見つけるために必要なのは、手法ではなく自身の状態

こんにちは。
コミュニティフリーランスの長田(@SsfRn)です。

僕がコミュニティマネージャーとして関わっているWasei Salonにて、今の真ん中の暮らしを考える「この町いいなの見つけ方」というプロジェクトを進めています。

昨日、プロジェクト活動の1つ「読書会」を開催しました。テーマとなる本は、『日本の面影(小泉八雲 著)』。

それぞれの視点で意見を交わし合ったのですが、その時に僕が話したことが

「この町いいなの見つけ方を考えると、ついつい手法のことばかりを考えてしまいがちだけど、実は自分が”いいな“を感じられる状態をつくることの方が大切なのかも」

ということでした。

今回は、この部分について考えていきたいと思います。


感じること

「日本の面影」を読んで皆が共通して感じていたのは、著者の感性の豊かさです。

表現力が優れた方なので、そう思わされている可能性は否定できませんが、きっと著者である小泉八雲は「感じること」に秀でた方なんだろうなと想像できました。

小泉八雲に習って考えていくと、いいところを見つける鍵は「感じること」なのかもしれないなと思ったんです。いいところの見つけ方といったTipsはいくらでも知れる時代だけど、それだけでは心から「いいな」と思うことが難しく、ちゃんと感じたことを受け取れる状態を作る必要がある。

そうじゃないと、見つけたところできっとこぼしてしまうものがたくさん出てきてしまうかもしれないからです。

そのことに気づいた時、僕は「感じること」を日常的にやっているのだろうか?と自分に問いかけてみたのですが、きっと意識的にはできていない。

鞆の浦に移住をして、「感じざるを得ない」瞬間は増えたようには思います。目の前に広がる瀬戸内海に対して、足を止めて眺めていたくなる衝動に駆られた回数は数え切れません。

東京にいたころと比較すると「感じること」の機会は増えている気がしますが、「感性を育む」ところまでは達していない感覚です。


感性を育むこと

僕らは感性を育むことができているのでしょうか。
本当の意味での感性は、どうすれば育んでいけるのでしょうか。

そんなことを読書会のなかで考えていた時、メンバーのひとりがこんな話をしてくれました。

「感性は、日常的に感じることを積み重ねた先に生まれるような気がしていて。非日常だけで感じるをやっていても、それは本当の意味での感じるにはならないんじゃないですかね。」

これを聞いて、本当にそうだなと。
日常や習慣のなかでこそ感性は育まれるものであって、急に身につくようなものでない。

ここ数年、独立研究家の山口周さんも『美意識』の話をよくされていて。この感性や美意識みたいなものは、「暮らす」だけではなく、「働く」に対しても求められていることであり、もっと言えば「豊かに生きる」ために必要なことなのかもしれません。

それほど大切なものであるとするならば、日々のルーティーンに「感じる時間」を入れていくことは、長い目で人生を見たときにかけがえのないものをプレゼントしてくれることになるかもしれません。

ひとまず僕は、可能な限り「浜辺で耳を澄ませる時間」を取り入れていきたいなと思っています。


最後に

最近、コーチングを学ぶ機会をつくってみているのですが、コーチングの世界でも「感じること」をとても大切にしている印象を受けています。

自分が感じることも、相手に感じてもらうことも、オンラインコミュニケーションがメインとなってきている今、どんどんその機会が減ってきているのかもしれません。だから、そういう機会を生み出せることに人が集まっているのかもと。

ついつい、頭で考えることをやってしまうからこそ、ここに書いたことは今後意識していきたいなという意思を置いておきます。

それでは!


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