思考のクセに自分らしさが宿る
こんにちは。長田(@SsfRn)です。
昨日、とあるサービスを提供している会社の方からDMが届き、ヒアリングを受けていました。まだそのサービスはローンチしておらず、今月にでも世に出てくるそうです。(またご紹介できればと思います)
ヒアリングの途中で、
「何かこうなればいいなとか、そういったご意見ってありますか?」
と聞かれたので、自分なりに色々考えて、思いついたアイデアを3つほどお話させていただきました。その時ハッとしたのが、すべて「コミュニケーション」や「つながり」に関係するアイデアだったんですよね。
「もし、自分が使うならこうなってほしい」
そう考えると、全部がそっちに繋がっていくんです。
それってある意味、思考のクセだなぁと思ったので、ちょっとこのことについて考えてみたいと思います。
自分の思考のクセは何か?
上記の出来事を受けて、僕は素直に「あ、自分らしいなぁ」と思ったんです。きっと、日々コミュニティのことや、人との関係性のことに目を向けていなければ、プロダクトを通じたコミュニケーションなんてことは考えもしなかったなぁと。
この思考のクセには、自分の価値観や考え方が詰まっているような気がしていて、いわゆる”らしさ”が表れる一つの瞬間だとも思うんです。
今の時代、「自分のことがよくわからない」という声をよく耳にします。そんな人にとっても、思考のクセを把握することって、とても意義がある。あまた、自分の強みもここに詰まっている気もするので、どんな人でも自分の思考のクセと向き合うのはいいんじゃないかなぁと思っています。
ただ、日頃普通に生活しているだけではなかなか気付かないもの。気付くためには、今回みたいな「対話」の場が必要不可欠だと思います。
ひとつの議題について考えてみて思考していく。その場を何回も経験して、積み重ねていくことで、自分の思考のクセが見えていくのかなと。
そのためにも、時には自分を俯瞰して見ることって必要なことだと思います。
クセを直す必要はないのか?
一方、あえてネガティブな視点を持つと、こんな意見もあると思います。
「クセがありすぎると思考の幅が狭くなって、広い視野で考えられないんじゃないか?」
と。
その意見もめちゃくちゃわかるし、その通りだなぁと思う一方で、中途半端に広い視野を持っている人になぜか魅力を感じないんですよね。
それより、クセがありまくりで、特定の分野に対して偏愛を持っている人の方が、もっと話したいと思うんです。
もちろん、視野が広くて、めちゃくちゃ思考をしまくっている人のことも魅力的。よくないのは、中途半端な感じになってしまい、全く”らしさ”を感じない状態なのかなと。
とはいえ、アップデートは日々必要だなと思います。
直す必要はないけど、上乗りさせていく。
その姿勢は大事だし、結果としてさらに思考の深さは出ると思います。自分の思考のクセを大事にしつつも、より磨いていきたいなぁと思う今日この頃です。
最後に
「あ、この人はこう考える人なんだ」
その発見って、その人の一面を知れたような気がして、嬉しい気持ちになります。そう思うと、僕が対話で求めているのは、目の前の議題を深めること以上に、目の前の人のことを知ることなのかもなぁと思いました。
きっと、今後もこういう場面って増えていくと思うんで、都度都度向き合っていきたいですね。
それでは!
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