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暮らしとコミュニティを考える

こんにちは、コミュニティフリーランスの長田(@SsfRn)です。

私ごとですが、最近高円寺に引越しをしました。

一見ただの引越しなのですが、僕的にはひとつの挑戦でもあります。今回はそのあたりのことを、自分なりにまとめてみようと思います。”暮らし”と”コミュニティ”について考えてみたい方は、ぜひ最後までお付き合いください。


コミュニティがある暮らしを目指して

僕はこれまで様々なコミュニティに関わってきていますが、基本オンラインのサービスや企業に関するものが多い。一言でまとめるなら、ビジネス寄りのコミュニティと言えばいいでしょうか。

プライベートや暮らしの部分で、コミュニティと接する機会はかなり少なかったように思います。

そのせいか、ここ最近の僕は地域コミュニティへの関心が高くなっていて、地方に足を伸ばす機会が増えています。

ただ少し引っかかってたのは、そういう非日常的な関わり方ではなく、もっと日常的に地域コミュニティと関われないものだろうか?ということ。

だって、地域コミュニティって本来は日常の中にあるはずで、その瞬間瞬間で関わるものではないじゃないですか(もちろんそういった関わり方もありますし、僕としても嬉しい関わり方です)。

そう考えた時、僕は自分の環境を地域コミュニティの中におくべきだと思ったんです。ただ、東京を出ていくことは考えていなかったので、東京で、好きだと思える場所で、地域性を感じられる場所で、、と考えたら自然と高円寺に行き着きました。

コミュニティのある暮らしを求めて、僕はこの高円寺を拠点に選んだということですね。仕事もプライベートも、コミュニティにどっぷり浸かっているライフスタイルを歩んでいきたいなと。


地域コミュニティの緩和剤

地域コミュニティを考えていくと、必ずぶち当たるのが「中に入るハードルの高さ」です。

これは地域によるところではあるのですが、クローズドすぎて他者を寄せ付けない側面が存在します。コミュニティ的に考えるととても健全なのですが、外の人からすると大変な部分でもあります。

よく、移住で失敗してすぐ帰ってきてしまうようなことを聞きますが、これもそのハードルの存在が招いてしまうのだろうなぁと勝手に想像しています。

ということを考えた時に、地域コミュニティには慎重に関わっていく必要があるんだろうなぁと。コツコツ関係性を構築していく必要があるんですよね。

この点でも、高円寺はとてもよかったなぁと思っています。それは「小杉湯」という銭湯の存在と、それに関わる皆さんとの関係性があったからです。

皆さんの存在が地域との架け橋に感じていて、地域の中にある開けた小さなコミュニティがあることの意義はとても大きいと改めて感じました。

僕にとっての小杉湯は、一種の緩和剤的な役割を担ってくれていて、ひとつの窓口のような存在なんですよね。

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この存在が、外の人間にとってはどれだけありがたいことか。今身を以て感じています。最初から居場所感を感じながら、コミュニティに入れてもらうことってなかなか珍しい体験です。

いつか自分が地方に暮らすことがあれば、こういう場を作りたいなぁ。


人生単位で考えた時、暮らしは外せない概念

Twitterでも最近”暮らし”に関するつぶやきが増えてきていますが、人生は”働く”と”暮らし”の掛け算で生まれているものだと考えているからです。

僕はコミュニティのことを日々考えていますが、考えれば考えるほど「コミュニティは人の幸福度に直結するもの」という考えに行き着きます。

人はどのようにコミュニティと関われば、人生を豊かにできるのか?そんな問いと向き合う時間が多くなってきました。

すると、“仕事”としてのコミュニティの関わり方だけを考えることに限界を感じていて、”暮らし”とコミュニティについて考えていかないと人生単位でコミュニティを捉えていくことができないなと思うようになりました。

暮らしと向き合っているのは、そういう理由からなんです。(古典に触れる機会を増やしているのも同じような理由なのですが、これはまたの機会に)

改めて、僕は本質的にコミュニティと向き合いたいんだなぁと気付かされました。ただのマーケティング施策とか、サービスや満足度の向上とか、そういったレベルではない、もっともっと根本的な部分。

それを模索するために、高円寺に暮らし、愛媛や全国に足を運ぶ。

今後も、暮らしにおけるコミュニティを模索していきたいと思っています。少しでも共感してくれた方、お話しましょう。

それでは!


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