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こんな夢をみた⑤境界のない世界

もう、20年も前のことです。自分が既に死んでしまっているという夢をみました。

宇宙空間のような、深海のような真っ暗な中に私は浮かんでいます。真っ暗ですが小さなちりみたいなものが感じられ、それと一緒に浮かんでいます。

自分の体は何も見えないけど、確かにそこにいるという感覚があります。

では自分の体はどこまであるのかというと、あたり一面全部自分のような感覚なのです。少なくとも半径数キロ先までは全部自分、という感じたことのない感覚です。つまり、自分と自分以外の世界との境界が感じられないという夢でした。

それはとても幸せに満ちていて、深く落ち着いた、果てしなく快適な状態でした。

死ぬってこんな感じなのか、なんだそれなら恐れなくてよかった、と思っているところで目が覚めました。

ジル・ボルト・テイラーの経験

いったい何でこんな夢を見たのでしょう⁇
思い当たるのは、「奇跡の脳」という本の影響です。

これは、ジル・ボルト・テイラーという神経解剖学者が、脳卒中を経験した時のことを書いた本で、YouTubeでその体験を語っているところを見ることもできます。

37歳のときに左の頭頂葉付近に脳出血を起こしてから、回復するまでのことが綴られています。左半球損傷により右片麻痺とともに言葉の障害が出現したこと、自分の身体の境界がわからなくなったこと、しかし同時にとても幸福感に満ちた気分でもあったことが述べられています。

そして、脳損傷により言語に代表される左半球機能が低下し、右半球の機能が一時的に優位になったことがこの幸福感をもたらしたのでは、と考察しています。

脳科学者である自分が、内面から脳について考える機会を得た!と興奮しているところがちょっと面白く、その気持はわかりますが、私はそうなりたくはないですね(笑)。何にしても、こんなパワフルな講演をできるまで回復したのですからよかったです。最近新たに書籍を出版しているようなので、こちらも読んでみようと思います。

ジル・ボルト・テイラーだけでなく、脳損傷によって境界をつくることに変化が起きる場合があります。自分の身体が空間内にどう展開しているのかがわからなくなる人、自分の身体の一部が自分には属していないように感じられる人、話しことばの音の境界がわからなくなる人など、さまざまです。不幸にしてその症状が続く患者さんも多いわけですから、脳損傷によってどんな状態が起きうるのかを知っておくことは、患者さんの内面を理解するのに役立つでしょう。

「違う」に敏感な人、「似てる」に敏感な人

私たちが世の中を認識できるのは、モノとモノの区別ができ、自分と自分以外のものの区別ができるからです。その境界がなかったら、ことばも成り立たないし何も成り立たないでしょう。人は境界がないところにも境界をつくることによって、世の中を認識し、それについて考えることができるとも言えます。

ただし、境界をつくるときに伴う情動というものがあると思います。

境界を認識して世の中のものをカテゴリー分けするときには、相違点と共通点を見いだす必要があります。このとき、相違点に敏感すぎると、多少の違いにも違和感を覚えることからネガティブな情動を伴いやすくなるのではないでしょうか。逆に共通点を見いだすことに敏感だと、お笑いのものまねを見て喜ぶように、面白い、お見事といったポジティブな情動が湧きやすくなるのかもしれません。

これは私の主観的な意見ですが、ジル・ボルト・テイラーが急性期に感じた幸福感の正体は、左半球損傷によって相違点を分析的に見出す能力が弱まった結果、共通点を見出す能力が相対的に高まり、宇宙との一体感が高まったことに伴って生じた情動なのではないでしょうか。


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