在日朝鮮人の帰還事業って?

2021年10月14日、日本史上初の試みが行われました。

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)政府を相手取った民事訴訟です。

https://news.yahoo.co.jp/articles/57a19b04c6fdf6a53caf9c241c5d13929abe1af7

そんなことできるのか? という声もあろうかと思いますが、訴状が受理され公判は行われたわけで、公的に一定程度認められた訴訟です。(なぜ訴えられるのかという理屈は本論の趣旨ではないので割愛します。)

なぜ、北朝鮮政府に対し、日本で訴訟が行われているのか? それはこの訴訟が、「在日朝鮮人の帰還事業(帰国事業、北送事業ともいう)」に対するものだったからです。

帰還事業とは?

Wikipediaの「在日朝鮮人の帰還事業」から引用しましょう(2021年10月15日版)。

「在日朝鮮人の帰還事業(ざいにちちょうせんじんのきかんじぎょう)とは、1950年代から1984年にかけて行われた在日朝鮮人とその家族による日本から朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)への集団的な永住帰国あるいは移住のこと。」

このことを知って驚く方もいらっしゃるかもしれません。「なぜ、あの北朝鮮にわざわざ日本から移住を!?」と。しかも北朝鮮への移住者は9万人以上、これは当時の在日コリアンの6.5人に1人といわれています

しかしこれには、やむにやまれぬ事情があったのです。

理由① 朝鮮総連の虚偽宣伝

現在も日本に存在する在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)は、表向きは在日コリアンの支援を目的とする団体ですが、実際には北朝鮮政府に追従する団体です。(あまり知られていませんが、朝鮮総連の幹部は日本に居住しながらにして北朝鮮の国会=最高人民会議に議席を有しています。)

この朝鮮総連が、北朝鮮を衣食住の心配のない「地上の楽園」であると宣伝し、在日コリアンを執拗に勧誘したのです北朝鮮政府は、その宣伝を受けて在日コリアンが北にあえて移住することが、体制宣伝になると考えていたのです。

「そんなの騙される人いるの?」と思うかもしれませんが、しかしそれは現代だからいえることです。当時北朝鮮の実情について日本ではほとんど知られておらず(昔も今も変わらず閉鎖体質だからです)、漠然と社会主義に対する好感を感じる人も少なくありませんでした。また一方の韓国の政情が不安定で、かつ日本近海で頻繁に漁船拿捕などの事件を起こしていたため、「敵の敵は味方」というわけで当時北朝鮮のイメージは悪くなかったのです。

このようなわけで、朝鮮総連の嘘は比較的ばれにくく、多くの在日コリアンを帰国の徒へつかせました。説明と現地の状況が真逆であったことはいうまでもありません。

(なお、「当時、北朝鮮は韓国よりも豊かだった。地上の楽園というのも多少は合っていたのではないか。」という意見がありますが、それは当時の韓国が極貧だったからで、ドングリの背比べをしていただけなのです。北朝鮮の生活はやはり貧しかったようです。)

理由② それをマスコミが後押しした

当時、朝日も読売も、すべてのマスコミは帰還事業に好意的でした

理由はいろいろ考えられますが、先に述べた社会主義や北朝鮮への漠然とした好意のほかにも、故郷に帰ろうとしている人をわざわざ止める理由がない、植民地支配への反省からあまり文句を言えない、などがあったと思われます。

朝鮮総連が北朝鮮政府の影響下にあったことは、ある程度在日コリアンもわかっていたでしょう。それでも朝鮮総連の言うことを信じてしまったのには、北朝鮮政府から独立しているはずの日本のマスコミも好意的だったから、という側面があったことは否めません。

理由③ 在日コリアンの境遇が非常に悪かった

しかし、いくら朝鮮総連やマスコミが騒いだところで、そう簡単に住みなれた日本を離れ、正体不明の地に帰るでしょうか?

(補足: 実は在日コリアンの9割は済州島など朝鮮半島南部の出身で、北部には一切縁がありませんでした。ですから、そう簡単にあえて北に帰ろうとは本来ならないはずなのです。もっともこれには、韓国の側が在日コリアンの帰還費用を日本政府に請求し、実質的に帰還を拒んだので、帰るとしたら北しかなかったという理由もあります。)

私は、この帰還事業の最大の原因は、日本における在日コリアンの境遇があまりにも悪かった、ということだと思います。

まず、日本の独立に伴い、在日コリアンは日本国籍を喪失、外国人扱いとなりました。このため、普通の学校に進学したり、普通の仕事に就いたりすることができませんでした。結果、在日コリアンは非常に貧しい生活を余儀なくされていたのです。

そのようにもはやこれ以上失うものがない人々が、北朝鮮に行かないかと誘われたとき、断るでしょうか?

仮に北朝鮮や朝鮮総連に若干の不安や疑念があったとしても、藁にもすがる思いで、帰還するしかないでしょう。当時の『キューポラのある街』という日本映画には、北朝鮮に帰還する在日コリアンが登場します。そのとき友だちに言われるセリフが、「今より貧乏になんか、なりようがねぇもんな。」というものでした。これほどまでに、在日コリアンの境遇を端的に示した言葉はないように思います。

帰還した人々のその後

帰還した人々のその後は、おおむね皆さんの想像通りだと思います。日本以上に貧しい生活、厳しい生活統制、強制収容所への収容、そして90年代の大飢饉……。想像を絶する(私も想像することしかできないのですが)現状が待っていました。こうしたことを受け、脱北に成功した人々が、「虚偽の説明で北朝鮮に渡らされ、かつ、北朝鮮からの出国を許されなかった」という北朝鮮政府を訴えたのです。

たしかに「騙された方が悪い」という意見はあろうかと思いますが、ここまでの経緯を踏まえたとき、まだ純粋にそう思えるでしょうか? 同じ境遇にあるときあなたは帰らなかったでしょうか?

まとめ: なぜこの件が注目されない?

私が不思議でならないのは、これほどまでに拉致問題が取り上げられているのに、なぜ帰還事業の総括はこれほどまでに盛り上がらないのかということです。

拉致問題は日本人の問題だが、帰還事業は在日コリアンの問題なので関係ない? 違います。帰還者の中には1,000人以上の日本人配偶者もいたのです。それに、上記のような日本側の事情もあったのに、在日コリアンのことなど全く関係ないという態度をとるのは、あまりにも冷たくないでしょうか。(日本政府に賠償を求めるという話になったら、慰安婦問題よろしく揉めるのは仕方ありませんが、あれと違って本件の主犯は北朝鮮政府と朝鮮総連であるにもかかわらず。)

判決は来年3月23日です。それまでに、多くの方が帰還事業のことを学んでくれることを切に願います。


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