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コミュニティとは「ココロゆたかに生きるための、生活の延長にあるもの」なのかもしれない | たなかちとせ

こんにちは。
コミュ活メンバーのたなかちとせ(ちーちゃん)です。

このブログを読んでらっしゃる方は、どんな方なのかなー?と想い巡らせつつ、今回は「コミュニティと無縁だった私がなぜこの事業に参画したのか」を書きたいと思います。

つらつらと果てしない戯言のような内容なので、こんなヤツもいるのかーと読んでいただけると嬉しいです。

たなかちとせ(ちーちゃん)
東京都出身。日本大学芸術学部卒業後、番組制作・人材派遣・webディレクションなど約15年テレビ業界に携わる。育休中に地域で働く人たちと出会い、地域活動の面白さ・奥深さに気づき「もっと地域を知りたい」と異業種へ転職。コミュニティカフェ運営、親子向けおでかけひろばにて相談業務事務、行政との区民協働公園設計事業の事務局など、多岐に渡り「地域をテーマに働く」兼業スタイルに。それと同時に、地域の人たちのネットワークを軸に「ココロゆたかにたのしく暮らす」をテーマにしたコミュニティ活動をスタート。「生活の延長にコミュニティがある」と実感する中で「コミュニティ活動力教育事業」に共感し、参画。

義務的コミュニティとわたし

私は「コミュニティ」が苦手だ。
正確には「コミュニティ」と名のつく集まりが。

物心つく頃から地元と離れたところにある学校に通っていたこともあり、地元に友達も繋がりもなく、今思うと親子でコミュニティからは孤立していたんだと思う。

その後、少しずつ自分自身で繋がっていくはずの学生時代のコミュニティも、これといってあったわけでもない。親が選んだ環境の中で、ほぼずっと変わらない人間関係。どこに属しているのか、ずっと曖昧なままの学生生活だった。

教室でアイドルの話で盛り上がっている友達のかたわらで、週刊ベースボールを読みながらその友達の話をぼんやり聞いている子だった。

それなりに遊ぶ友達はいたが、そこにいたくていたわけではなかったと思う。そこしかなかったから…私のコミュニティは「ここしかない仕方のないもの」だった。

今思うと、よくこんな環境でアイデンティティの形成ができたものだ…と思わなくもないが、逆にこんな環境だったからこそ、常にちょっと俯瞰で物事を見る、超絶ネガティブ思考な私が誕生したことは納得がいく。

大学はそんな私には破天荒すぎる環境だったが、そこでもコミュニティに属するのは「義務」だったように思う。

義務的コミュニティからの脱却

社会人になった私は、激務な職でそれなりに充実した日々だったが、寝に帰るだけの家の周辺を散策することもなくコミュニティとはますます無縁の生活になった。

30何年そんな人生だった私に転機が訪れたのは、息子が生まれた時だった。
出産後すぐに引っ越し、全く縁も所縁もない土地で初めての子育て…知らない事だらけの日々…本当にしんどいしかなかった。

平日の真昼間に街を歩くことの衝撃は今も鮮明に覚えている。そこには「生活」が溢れていた。人々の日常が。すごい、ナニコレ。

その中に一歩足を踏み入れてみた。私にしてみたら大冒険だった。

でも不思議と馴染むのは、抱っこ紐に包まってる息子がいるからだということも衝撃だった。すごい、ナニコレ。(2回目)

独身時代ずっと、知らない土地のそこで生活している人たちを見たくて旅していたことを思い出した。

「生活って、日常って面白い。」
分からないけど、そんなことを思った。

そんな衝撃の育休期間を経て、私は「現実」へと戻った。正直、違和感しかなかった。

24時間戦えますか?な世界だったことを思い出し、自分自身の人生を初めて考えた瞬間だった。

「このままでいいのか?」

育休中に出会った、街で活動している方たちに片っ端から連絡した。何か行動を起こさないとダメだ!と思った。フィーリング重視、ロジカルシンキング皆無な私が死ぬほど本を読んだ。小説以外の本を。

ほとんど何を言ってるのか分からない本から、後頭部を鈍器で殴られたような衝撃を受けた本まで、数年たった今思うと「今の私を作った」瞬間だったと思う。

いろんな人たちに会いに行った。話を聞いたり聞いてもらったりした。焦りともいえるような活動の仕方だったと思う。何かをやらなければ…そんな思いだった。

ある日、「べき」に囚われていたことに気づいた。

「私は何がしたいんだろう…」

《ココロゆたかにたのしく暮らしたい》

ふとそんなワードが降りてきた。
ココロゆたかにってなんだろう…?
たのしくってなんだろう…?

家族が、友人が、街で知り合ったあの人が、そして何より私自身が…つらいこと、悲しいこと、イヤなことはたくさんあるけれど「なんやかんやと今日はいい日だったかも!」と思う世の中にしたい。たいそれたことはできないけれど。

私ひとりでは何もできない。
けど、私には今、仲間がいる。
コミュニティで出会った仲間たちが。

「おれは、助けてもらわねェと生きていけねェ自信がある!!!」と某主人公が言ったあの名台詞はまさに今の私なのだ。(ちゃんと読んだことないから読んでみようかな…)

こんなコラムを書く日が私の人生で来るとは、きっと10代の私は微塵も思っていないだろう。(だから今はまだ週刊ベースボールを読みながら違和感を抱いていていいと思うよ)

自分を知り、関わり方を知る。コミュニティの価値とは

結局は「自分が」「どんな風に」生きたいか。

それがベースにあり、その延長に生活や営みがあり、そのまたさらに延長線上に人と関わる「コミュニティ」があるのかもしれない。

「コミュニティ」に属することは、正直「なくてもどうにかなる」と今でも思ってはいる。

でも「在る」ことへの安心感はあるような気がする。いつでもそばに在る。そんなポジション。

関わり方や距離感は、自分自身のタイミングなどで「変化」していい、とも。

価値はなんだ?と聞かれると難しいけれど、「なかなかに奥深くて面白いよ」と答えている。

「べき」に囚われない、なくてもいいけどあったらちょっとだけ生活が潤う、自分自身を知る場所。

それをもっと深掘りするために、私はこの事業に参画したのかもしれない。

おわりに

「コミュニティ」と聞いてもピンとこない方にも、「なんかめんどくさそう…」と感じている方にも、「勇気を出さないと入れなさそうだからムリ…」と諦めている方にも、いつかきっと「あ、ここいいかも」と思う適温な居場所が見つかるといいな…と願いつつ、その最初の一歩の踏み出し方を一緒に模索したいな、と思います。

コミュ活、きっと面白いよ。


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