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【ソマティック・マーカー】人は身体でも考えている

私が知りたいのは、明らかに「身体という物理的な領域」で起きているプロセスを、「心で体験する」ことを可能にしている、機械的なメカニズムについてなのだ。

アントニオ・R・ダマシオ

この物理的な身体から心的体験への転換は、一般的には「脳」を構成するニューロンという物理的、科学的な装置の活動によって起きているという説明がなされます。

このとても興味深く、そして驚くべき転換を実現することにおいて「神経系が欠かせないのは確かだが、それを神経系が単独で行っている証拠はない」と、力強く論述するのは、ポルトガル出身でアメリカの神経科学者、アントニオ・R・ダマシオです。

そして今回の主人公は2人。1人は「心」、もう1人は「身体」です。

様々な学問を包括的にカバーしているとも言える「哲学」においても「心」と「身体」についての考察の歴史は古く、例えば紀元前、古代ギリシアのプラトンは、この問題を「霊と肉」というニ項目に分けて考察しました。

17世紀に目を転ずれば、デカルトはこの問題に対する考察を「心身二元論」としてまとめ、基本的に両者を「分離独立した別個のもの」として取り扱うアイデアを示し、一方でスピノザは「心身平行論」としてまとめ、「両者は一体のもので分離できない」として、デカルトを批判しているようです。

過去から繰り返されてきたこの「心」についての考察・研究の完結は、現時点においても、まだまだ遠い話です。心とは、感情、意識、無意識、そして思考など複雑な要素を含んでいるも、そのどれもが物理的ではないために、私たちの理解の及ばないほどに深淵なのでしょう。

だからこそ、この「心」についての研究は、哲学、心理学、神経科学、人工知能など多くの分野に発展しているわけで、新たな理論や発見が続々となされながら、人間の心の理解は常に進化し続けているのです。

そんな私たちは一般に「心」と「身体」について、「心が司令塔」であり、「身体はその司令を受けて命令を執行する機関」というイメージで考えがちです。しかしこの「心が主」で「身体が従」であるという関係は、どうもそれほど単純ではない、ということがいくつかの研究から分かりつつあります。

今回はそのような研究の一例として、アントニオ・ダマシオの唱えた「ソマティック・マーカー仮説」を紹介したいと思います。

ソマティック・マーカー仮説とは

ダマシオは、数理や言語といった「論理的で理性的」な脳機能がまったく損傷されていないにもかかわらず、社会的な意思決定の能力を破壊的に欠いた患者を数多く観察し、「適時・適正な意思決定には、理性と情動の両方が必要である」という仮説、いわゆるソマティック・マーカー仮説を唱えました。彼自身の実験によれば、発見に至る経緯は次のようなものでした。

ダマシオのもとに、ある患者が紹介されます。エリオットと呼ばれるこの30代の男性は、脳腫瘍の手術を受けた後、何ら「論理的・理性的な推論の能力が損なわれていない」にもかかわらず、実生活上の意思決定に大きな困難を来し、破滅しつつありました。

ダマシオは、エリオットに対して、特に脳の前頭葉の働きを検査するための 様々な神経心理学的テストを行いますが、知能指数をはじめとしてその結果はいずれも正常、というよりも非常に優秀であり、実生活上での意思決定の困難さを示唆するものはありませんでした。

ダマシオは戸惑い、困惑します。

これらの検査から、エリオットは正常な知性を持っていながら適切に決断することができない、とくにそれが個人的あるいは社会的な問題と関わっているとき決断できない人物であることがはっきりした。個人的・社会的領域における推論や意思決定の仕方は、物体や空間や数や言葉が関係する領域における推論方法や思考方法とは違うということか?それらは異なった神経系やプロセスに依存しているのだろうか?

アントニオ・R・ダマシオ『デカルトの誤り 情動、理性、人間の脳』

打解策が見出せないまま、一旦はこの問題から離れることにしたダマシオは、やがてエリオットが示していた「ある傾向」が問題を解く鍵になるのではないかということに思い至ります。その「ある傾向」とは、極端なまでの感性・情動の減退です。

ダマシオは、エリオットが悲惨な事故や災害の写真を見ても感情的な反応を示さないこと、あるいは病気になる前は愛好していた音楽や絵画について、手術の後にはなんの感情も湧き上がらなくなったことを知るに及び、社会的な意思決定の能力と情動には、今まで見過ごされてきた重大な繋がりがあるのではないか、という仮説を持つに至ります。

その後、この仮説を検証するために、エリオットと同様に脳の前頭前野を損傷した12人の患者について研究を重ねたところ、全てのケースにおいて「極端な情動の減退と意思決定障害」が等しく起きていることを突き止めました。

この発見をもとにしてさらに考察を重ねたうえで、ダマシオは以下のようにソマティック・マーカー仮説を提唱しました。

あなたが、前提に対する費用弁益分析のようなものを適用する前に、そして問題解決に向けて推論を始める前に、ある極めて重要なことが起こる。たとえば、特定の反応オプションとの関連で悪い結果が頭に浮かぶと、いかにかすかであれ、あなたはある不快な「直感的感情」を経験する。その感情は身体に関するものなので、私はこの現象に<ソマティック>(ソマ、すなわちSomaはギリシア語で身体を意味する)という専門語を付した。そしてその感情は一つのイメージをマークするので、私はそれを<マーカー>と呼んだ。

アントニオ・R・ダマシオ『デカルトの誤り 情動、理性、人間の脳』

ソマティック・マーカー仮説によれば、情報に接触することで呼び起こされる感情や身体的反応(汗が出る、心臓がドキドキする、口が渇く等)が、脳の前頭葉腹内側部に影響を与えることで、目の前の情報について「良い」あるいは「悪い」の判断を助け、意思決定の効率を高めます。

この仮説に従うならば、これまで言われていた「意思決定はなるべく感情を排して、理性的に行うべきだ」という常識は誤りであり、意思決定においてはむしろ「感情は積極的に取り入れられるべきだ」ということになります。

私の周りのビジネスパーソンへ向けて

ここまで確認してきたように、ソマティック・マーカーとは、特定の刺激に対する「身体的感覚」や「感情的反応」のことです。

私の場合、例えば一緒に仕事をするメンバーを選ばせていただくとき、このソマティック・マーカーという「仮説」が非常に役に立ってくれます。

まず、私にとっての仕事とは「目的達成のための手段」です。しかし、私から見ると残念なことに、私の周りにいる、そのほとんどの人々にとっての仕事は「自己の利益追求のための手段」に成り下がっているように思います。「この人と一緒に働いたら出世の近道になりそう」などという実にいじましいまでに利己的な人が多い。

私はこれまでの経験から、このような人と相対すると「身体」のミゾオチのあたりが「なんだかゾワゾワする」という違和感を覚えるようになりました。そんな違和感を覚えながらも敢えてその人と仕事をしてみると、やはりろくなことにはならないんですね。このような経験を蓄積することで、仕事におけるメンバー選びにおいてこの仮説は、私の「定説」となりました。

もちろんこれまで何度も記述してきた通り、ソマティック・マーカーは多くの反論もある「仮説」です。しかしでは「仮説」だからといって役に立たないのか?それは先述した私自身の経験から言わせれば当然「NO」です。

「仮説」は実験や観察によって検証され、何度も繰り返され同じ結果が一貫して得られると、その仮説はより信頼性の高い「定説」に進化します。(言うまでもなく一般的な科学プロセスでは複数人の検証を経る)

今日の社会はますます複雑化し、論理的な意思決定が難しい状況となっています。だからこそ、無駄な会議やミーティングが増加再生産され、大くのビジネスパーソンの貴重な時間資本は、無為に帰してしまっている。

論理的に振る舞い続けることが、今日の限界費用ゼロ社会における機会費用の損失に繋がっていると考えてみるならば、「身体の考えに従って」意思決定してみるのはいかがでしょうか?

きっと大丈夫、失敗とは、学習ですから。




僕の武器になった哲学/コミュリーマン

ステップ1.現状認識:この世界を「なにかおかしい」「なにか理不尽だ」と感じ、それを変えたいと思っている人へ

キーコンセプト16「ソマティック・マーカー」


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