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家事分担の気づきから、経営科学への応用

経営の世界では、「効率」と、その先に求められる「効果性」の追求が常に重視されます。

しかし、「真の効率性」とは何なのでしょうか?

組織が長期的に持続可能であるために必要なものとは何か?ということについては、しばしば見落とされがちです。

まだ約1年ほどという短い期間ではありますが、私は日頃から「哲学」について独学をしていますので、ここでは日常生活の一コマである「家事分担」から得られる気づきと、古代ギリシャの哲学者アリストテレスが説く「中庸」の概念とを私なりに融合させ、経営科学における新たな洞察を探ってみたいと思います。

家事分担の気づき

家庭内での家事分担は、性別に関わらず公平に行われるべきですが、伝統的に女性に多くの負担がかかる傾向がありますね。

あくまでも「仮に」と前置きをしたうえで、経営の観点から家事を見ると、この不均衡は「効率性」だけでなく、「公平性」の問題があるということが浮き彫りになります。

たとえば、夫がフルタイムで働き、妻がパートタイムで働いている家庭を考えます。仕事から帰宅した後、妻が夕食の準備、子供の世話、掃除などの大半の家事を担う一方で、夫は限定的な家事しか行わないケースがよく見られます。

この状況からの気づきは何かないのでしょうか?もちろんあります。それは、家事分担が単に時間の問題ではなく、価値観や慣習に基づくものであることを認識することです。

例えば、ある家庭では「女性が家庭を守るべき」という価値観が根強くあり、この価値観により女性は家事と育児の大部分を一手に引き受けるという状況が生まれているとします。このような価値観が家庭内の不文律となってしまっている場合、女性がキャリアを持つことに罪悪感を感じさせたり、男性が家事に積極的に参加することを妨げたりする可能性があります。

一方で、ある家庭では「日曜日は家族で掃除」という慣習があったとします。この慣習は、家族全員が協力して家事を行う文化を生み出し、子供たちにも家事への参加意識と責任感を育む効果があります。しかし、もしもこの慣習が柔軟性を欠いていると、家族の中で他の予定がある場合でも無理に実行され、ストレスの原因になることもあります。

このような価値観に偏った分担や柔軟性を欠いた習慣は非効率的であり、妻に過剰なストレスを与え、家庭「全体の幸福度を下げる」可能性があることに気づくということです。

これを経営の視点から言えば、この状況では一部のチームや組織に限定して過剰なストレスを与え、チーム・組織全体の効率を「逸失」していると言わざるを得ません。意図せず手放してしまっている、ということです。重大なコンプライアンス違反が起きる理由がここにあります。

全体の幸福度を下げるということは、全体の士気が下がると言い換えることができます。このような状況であるにも関わらず、更に効率を求めたとて、その先の「真の効果性」を高めることなど、果たして・・・。

ということで、この点を改善することから始めてみるのが効果的です。家事分担の視点で具体策を3つ挙げてみたいと思います。

1.コミュニケーションの強化
家事分担に関する期待と負担をオープンに話し合い、お互いの貢献を認識し合うことが重要です。例えば、週に一度、家事分担に関するミーティングを設け、その週の家事の分担計画を立てることが有効です。

2.フレキシビリティの導入
仕事の忙しさは日によって変わります。そのため、柔軟に家事分担を調整することが大切です。例えば、夫が仕事で疲れて遅く帰宅した日は、妻が多くの家事を担うが、週末は夫が主に家事を担うなどのバランスを取ることが考えられます。

3.共同の責任感の醸成
家事は家庭を支えるための共同作業であるという意識を育むことが重要です。子供がいる家庭では、子供にも適切な家事を任せることで、責任感を育み、家事の分担を家族全員で支える文化を作ることができます。

家事分担の気づきを「相手を思いやること」に発展させることは、組織運営の原則と何ら変わりありません。

この気付きを応用し、より公平で効率的な家庭・組織環境を実現することは可能です。このアプローチは、経営科学における人材管理や組織文化の構築にも有益な洞察を提供するのです。

アリストテレスの「中庸」

アリストテレスは、「中庸とは、過剰でも不足でもない、あるべき状態である」と考え述べました。彼によれば、その状態にあるためには「徳」が重要なポイントになると言います。

この概念を経営に応用すると、極端な決定や偏った戦略を避け、バランスを重視した経営が求められるということになります。これは、リスク管理、資源配分、意思決定プロセスにおいて、過不足ないアプローチを意味します。

この概念は、彼の著作『ニコマコス倫理学』に詳述されています。アリストテレスは「徳」を、過度でも不足でもない、ある特定の行為や感情の適切な状態と定義しています。つまり、中庸は二つの極端の間の適切なバランスを指します。

アリストテレスによれば、「徳」は理性に従って選ばれた中間的な状態であるとは言いますが、これは具体的な状況や文脈に依存します。たとえば、勇気は「臆病=不足」と「無謀=過度」の中間に位置する徳です。勇気ある人は無謀ではなく、かといって臆病でもありません。彼らは恐怖を感じる状況でこそ、真に適切な行動をとるのです。

中庸の概念は、個々人が自身の行動や感情を調節し、極端な行いを避けることによって「徳」を育むことを示唆しています。アリストテレスは、このようなバランスの取れた生き方が幸福へとつながると考えていました。彼にとっての「徳」とは単に道徳的な義務を超えたものであり、充実した人生を送るための基礎となるものでした。

なんと約 500 社にも及ぶ企業の設立や運営に携わったとされている、実業家の渋沢栄一は、1910 年代に著したその著書『論語と算盤』において、「商業活動は道徳を土台として行われ、社会全体の利益に貢献すべきである。そうすれば大儲けができる」と述べています。

「徳」を高めることこそが、家庭全体の幸福のみならず「企業=あなたの儲け」にも繋がっていくのですから、これは「取り入れないという手」などないのではないでしょうか?

経営科学への応用

「家事分担の気づき」と「中庸」の概念を経営科学に応用することで、次のような洞察が得られます。

1.適材適所の原則の再確認
家事分担から得られる気づきは、組織内での適材適所の重要性を強調します。従業員の能力、興味、成長の機会を考慮し、適切な職務を割り当てることが、組織全体の効率性と満足度を高めます。

2.バランスの重要性
アリストテレスの中庸は、経営におけるバランスの必要性を教えてくれます。過度なリスク回避と過度なリスク取りはどちらも避け、バランスを考えた意思決定が求められます。

3.持続可能な経営
家事分担における公平性や効率性、中庸の概念は、持続可能な経営への道を照らします。短期的な利益追求だけでなく、長期的な視点を持ち、組織の健全性と成長を目指すべきです。

私は「家事分担の気づき」とアリストテレスの「中庸」は、経営科学において、「人間中心のアプローチ」と「バランス」を重視した経営戦略の重要性を示すことができると考えています。

組織は「生きたエコシステム」であり、その各構成要素が調和して機能することで、「真の効率性」と持続可能性が実現されるのです。

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