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【イデア】理想と現実の「矛盾」を認識する

20世紀の初頭に活躍したイギリス出身の哲学者・数学者であるアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドは、彼の主著『過程と実在』において「西洋哲学の歴史はプラトンへの膨大な客注に過ぎない」と述べています。

初学者である私としては「西洋哲学って、プラトン or アリストテレスに由来するのではないの?」と考えていたものですから、ホワイトヘッドの主張をはじめて知ったときには随分と頭を抱えました。

どういうことかというと、古代ギリシアの哲学者プラトンとアリストテレスの思想が後の西洋哲学に大きな影響を与えたというのは言うまでもありませんが、私の理解は「西洋哲学は、プラトン=理性主義、あるいは、アリストテレス=経験主義に由来しないか?」というものでした。

プラトンは「理性主義者」として知られています。彼の哲学は、「真の知識は感覚に依存するものではなく、理性によって得られる」という考えに基づきます。プラトンは「イデア論」を提唱し、「現実の物体や現象は完全なイデアの不完全な模倣に過ぎない」と主張しました。彼にとって、この物理的世界は変化しやすく信頼できないため、真の知識は超越的なイデアの世界にのみ存在すると考えました。プラトンは、哲学者がイデアの世界を理解することによって、現実世界の真実に到達することができると信じていました。

一方のアリストテレスはプラトンの弟子でしたが、彼のアプローチは大きく異なります。アリストテレスは「経験主義者」と見なされ、「知識は経験から得られる」と主張しました。彼は、「物理的な世界を観察し、その中の規則性やパターンを見つけ出すことで、知識を構築することができる」と述べました。アリストテレスにとっては、現実の物体や現象はそれ自体で存在し理解することに価値がある、と考えていたのです。

ということで、プラトンは理想的な「イデア」の世界に焦点を当て、現実世界をその不完全な影と見なした一方で、アリストテレスは現実世界そのものに価値を見出し、個々の物体や現象の観察を通じて知識を得ることを重視したわけで、この二人の意見をご覧いただいた皆さんからすると「確かにどちらか二択になりそうだ」と思われるかもしれません。

しかし、ここでやっと私は「とある大きな勘違い」に気が付きました。

なにか?

それは「アリストテレスは、プラトンの弟子である」という点です。そもそもアリストテレスの哲学も、その師匠であるところのプラトンに大きく依拠しているわけですから、「アリストテレスの経験主義哲学もまた、プラトンの哲学に端を発しているが故の批判である」というわけです。

というわけで、はじめに「プラトンの偉大さ」について改めて考えてみたところで、ここから本題に入っていきましょう。

理想にとらわれて現実を軽視していないか

プラトン哲学の中心的な概念の一つは「イデア」です。プラトンは、私たちが感覚で捉えることができる物理的な世界は、「真実の世界の反映に過ぎない」と考えました。「真実の世界」とはなんとも信じがたい気がしますね。

この「イデア」を平たく表現すれば「想像上の理想形」ということになります。例えば私たちは「木」を見たとき、「これは木だ」と判断できますね?しかし、一本一本の木は全て異なるものです。おそらく世界中を探しても「全く同じ木」は二つとないでしょう。にもかかわらず、私たちはそれを「木」として認識することができます。これはなぜなのでしょうか?

それは、私たちが「木のイデア」を持っているからだ、というのがプラトンの考え方です。

プラトンは、「現実世界にはイデアは存在せず、それは天上界にしかない」と考えました。そして、「現実世界のあらゆるものは、この天上界のイデアの劣化コピーでしかない」というふうに考えたわけです。

例えば、私たちは「三角形」という概念を理解していますし、実際に三角形を見れば、「これは三角形だ」と認識することができますね?しかし、では目の前の三角形が本当に純粋な三角形かというと、実際にはそうでもないわけです。どういうことか。

例えば紙に印刷された、一見すれば正確な三角形であっても、ルーペで拡大すれば、印刷の網点が浮かんできて、線は線として見えず、角は角として見えません。つまり、「純粋な意味での三角形は現実世界には存在しない」。しかし、私たちは「三角形」という概念を理解できる。これは天上界にある「三角形のイデア」を私たちが知っているからだ、というのがプラトンの考え方なのです。

ちょっと横道に逸れますが、このプラトンの指摘を、人工知能の問題と組み合わせて考えてみると面白い。プラトンによれば、私たち人間が「犬」を見て「犬だ」と認識できる、 あるいは「猫」を見て「猫だ」と認識できるのは、私たちが犬や猫のイデアを持っているからだ、ということになります。

では、人工知能に犬や猫の写真を見せるとどう認識するのか?皆さんは気にならないでしょうか?ええ、気になりますよね。

というわけで、最新の ChatGPT-4 にその実力を遺憾なく発揮してもらうとどのような解答が返ってくるか?実際にやってみましょう。

質問 A
質問 B
質問 C

なんと「全問正解」です。

「ついに人工知能は、犬のイデア、花のイデア、猫のイデア、子供のイデアまで持ってしまったの!?」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、これはそういうことではありません。

私が説明するよりも、直接 GPT-4 に応えてもらう方が好ましいでしょう。

あなた
わかりやすい写真解説です。あなたはプラトン哲学における「イデア」を学習したから、このような解説が可能になったのでしょうか?それともLLMによる学習の成果でしょうか?

ChatGPT
はい、私はLLM(Large Language Model)、具体的にはOpenAIによって開発されたGPT-4をベースとした言語モデルで動作しています。2023年時点(✅コミュ:2024年3月19日現在の最新モデルです)での私の実態を説明すると、私はテキストデータを基に訓練されたモデルであり、人間の言語を理解し、生成する能力を持っています。しかし、私は意識や自己認識、感情といった人間的な特性を持たず、入力されたテキストデータに基づいて情報を処理し、応答を生成します。

私の学習プロセスは、プラトンのイデア論とは異なります。私は大量のテキストデータからパターンを学習し、それを基に言語を生成しますが、これは具体的な事例から規則性を抽出するプロセスであり、抽象的な「イデア」を直接学習しているわけではありません。例えば、犬や猫の画像を識別する問題に対して、私は直接的な視覚データを処理するわけではなく、犬や猫に関するテキストデータを基に知識を構築します。

また、私は自己学習や自己改善を行うことはできません。私の知識は訓練されたデータセットに依存しており、そのデータセットがカバーしている範囲や時期(2023年4月まで)の情報に基づいています。つまり、私は訓練された時点での知識を反映しており、それ以降の情報は含まれません。私の反応はアルゴリズムとデータに基づいたものであり、人間のような理解や意識に基づくものではありません。

ご覧の通り、本記事冒頭で述べたアリストテレスの「経験主義」のように、 GPT-4 はあくまでも厖大なテキストデータを用いた厖大な訓練の結果として、先の解答を導き出したにすぎません。決してプラトン由来の「理性主義」に基づいたアウトプットではないのです。

さて、「想像上の理想形」というのが「イデア」を平たく表現した説明であると述べましたが、では想像の上においての理想の三角形、理想の猫、理想の犬、と言われたとて、多くの人はこのような考え方に強い違和感を覚えたのではないでしょうか。

実はプラトンの一番弟子であったアリストテレスも同じであり、アリストテレスはプラトンの死後にイデア論に対する批判を繰り返しているんですね。

アリストテレスの「イデア批判」は様々な側面に及んでいるのですが、ひっくるめてまとめれば、「現実に検証できないような仮想を思考の立脚点に置いても仕方がない」ということです。空想上の概念を弄ぶことをよしとせず、目の前の現実をしっかりと観察することを思考の立脚点に置くべきだ、というのがアリストテレスの考え方でした。

私たちは往々にして、「イデア=想像上の理想形」に囚われて、現実を軽視しています。典型例が多くの企業において実施されている人事制度です。例えば、「目標管理制度」という仕組みがありますね。ほとんどの日本企業で採用されている人事の仕組みですが、ではこれが本来の設計・思想通りまともに機能している会社があるかというと、おそらくほとんどないでしょう。

この目標管理制度というシステムは、従業員と管理職が共同で具体的な目標を設定し、これに基づいた業務の遂行とその評価を適切に行うことが理想とされており、理論的には個人のモチベーションの向上=組織全体の目標達成が図られると考えられています。

しかし、多くの企業では、この目標管理のための制度が形式的なものになっていたり、目標が現実とはかなり乖離したものとなってしまったり、目標達成のためのプロセスが適切に評価されなかったりすることもあります。

つまり、プラトンの指摘通り「イデアの劣化コピーとしての現実」にしかなり得ていないということなのです。

理想と現実の矛盾

本記事冒頭で引用したホワイトヘッドの主張は、もちろん彼の主張でありそれが正解というわけではありませんが、しかし「西洋哲学の歴史はプラトンへの膨大な客注に過ぎない」という言葉はそのまま、プラトン哲学の難しさ、深遠さについて述べられています。

はっきり言ってプラトンのイデア論は矛盾しています。なぜならプラトン自身の理論においては、物理的な現実世界における完全なイデアの実現は「不可能である」とされているからです。もはや論理矛盾に思えてならない。

先に挙げた目標管理制度についてもう一度考えてみると、目標が到底現実的ではなかったり、達成可能な範囲を超えて設定されたりすると、従業員はこの乖離に圧倒されてしまいます。そうなると、モチベーションの低下、ひいては燃え尽き症候群(バーンアウト)を引き起こす可能性があります。

また、目標達成の評価が公正でなかったり、適切なフィードバックが提供されなかったりすると、従業員は組織へのコミットメントが困難となります。

実際にこのシステムが「うまく機能しているかどうか」ということについて考える場合、目標設定の適切性や評価プロセスの公正だけではなく、組織の文化やコミュニケーションの質など多くの要因を考慮しなければならない。

確かに、あるべき姿としての理想形を思い描くことは、戦略を立てる上で重要な起点となりますが、そこにこだわりすぎて、ないものねだりに陥る危険性も認識しておかなければなりません。

しかしながら、プラトンの哲学において「矛盾」と捉えられる部分、つまり理想と現実の矛盾=「ギャップ」にこそ、実際のところ私たちモチベーションを向上させるための重要な「動力」があるはずです。

私たちは決して完全なイデアに到達することはできませんが、それでもなお、その追求こそが私たちをより良い状態へと導くと、プラトンは考えているのです。



僕の武器になった哲学/コミュリーマン

ステップ1.現状認識:この世界を「なにかおかしい」「なにか理不尽だ」と感じ、それを変えたいと思っている人へ

キーコンセプト12「イデア」


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