見出し画像

「セブンイレブン、執念のPB開発で超えた『魔の10年』」に注目!

セブンイレブン、執念のPB開発で超えた「魔の10年」 コンビニ大全⑦ - 日本経済新聞 (nikkei.com)

セブン―イレブン・ジャパンがコンビニエンスストアとして成長できると自信を持ったのはいつだったのか?今でこそ2万店を超えますが、わずか100店を達成したころが成長へひた走る転換点だったといいます。

1976年6月、ホテルニューオータニで催した「セブン―イレブン・コンビニエンスストア100店開店記念」の式典で、米国からコンビニを持ち込んだ旗振り役の鈴木敏文専務(当時)はスピーチに立つと感極まって涙を浮かべました。

世の中にないものをつくり上げる苦しみは計り知れません。セブンイレブンのライセンスを持つ米サウスランド社との厳しい交渉、人生をかけたフランチャイズ店舗のオーナーたち、事業失敗の恐怖、歯を食いしばって店づくりに奔走した仲間……。さまざまな思いが頭をよぎったのでしょう。

1974年に東京・豊洲に1号店を出し、酒販店を中心に加盟を募集しても、二の足を踏む店主は多かったそうです。他の小売店と違いを示す決め球もまだなく、取引先は恐る恐る付き合う。それでも大型店と共存し、便利さを求める消費者に応えるのはコンビニだという「仮説」の証明に執念を燃やし、オーナー・取引先とも賛同者を増やしていきました。

日本のセブンイレブンは会社設立から2年6カ月、1号店オープンから2年で100店を達成します。まさに100店は仮説の正しさを証明する閾(いき)値だったわけです。

その4年半後に1000店を達成したとき、鈴木氏の目に浮かんだのは涙ではなく、確信でした。物流体制と情報システムが整い、コンビニが社会に根付くと自律的な成長軌道に乗ります。1992年に5000店、2003年には1万店の大台を突破しました。

ところが2000年代、コンビニ業界は「魔の10年」といわれる停滞期にぶつかります。日本フランチャイズチェーン協会によると、2000〜2007年まで既存店の年間売上高は8年連続で前年実績を割りました。2008年は、たばこ自動販売機の成人識別カード「taspo(タスポ)」導入の余波でコンビニに喫煙客が流れ、既存店は一時的に回復しましたが2009、2010年と再び減収基調に転じました。

この時期の新聞記事は「コンビニ 成長鈍化」「店舗網拡大鈍る」など、当時の百貨店などと同じ成熟産業のように扱っています。セブン―イレブン・ジャパン会長となった鈴木氏は、2003年の社史でこんな檄(げき)を飛ばしました。「マンネリズムに対する危機意識がまだまだ欠けている」「私が最も気にかけていることのひとつに、創業時のメンバーが共有していた危機感が薄れている現実がある」。社史のインタビューとしては異例です。

2006年の日本経済新聞には「成長神話は終わったのか?」と鈴木氏に問う記事が載っています。同氏はこう答えていました。「食べ盛りの若者が減り、食べる量が少ない高齢者が増えているため、『食』を売る企業はスーパーもファミリーレストランも売り上げを落としている」

確かにセブンイレブンの客層は変わっていました。1980年代まで10〜20代が60%を超え、50歳以上は10%程度です。それが2000年代には10〜20代が半数を割り、40代以上が増えていきます。ちなみに2022年は、50代以上が36%と10〜20代を大きく上回っています。

鈴木氏はこうした人口動態の変化を嗅ぎ取っていました。「過渡期にさしかかっているのは事実だが、商品やサービスを見直せばまだまだ成長できる」「経営の実が問われる局面に入った」。成功体験に縛られず、「変化対応」をキーワードにしたイノベーションが動き出します。その象徴が2007年発売のプライベートブランド(PB)、セブンプレミアムです。

自社で商品を企画開発するPBは手探りから始まりました。当時はデフレが進み、セブン&アイ・ホールディングス全体で低価格戦略が求められていました。グループのスーパー、ヨークベニマルの大高善興社長(当時)は「価格競争が厳しい。我々にもPBが必要だ」と低価格路線を提案しました。しかしセブン&アイを率いる鈴木氏の考えは違います。あくまで質を優先し、安売りしないことを開発の条件としました。

それまで、セブンイレブンのオリジナル商品はおにぎり、麺類などのデイリー商品を中小の総菜メーカーを中心とする日本デリカフーズ協同組合(NDF)が担ってきました。全国のグループ店舗で販売するPBとなると、NDFで対応しきれません。

そこで大手食品メーカーに開発を持ちかけましたが、当初は消極的な企業が多かったそうです。大手は長年築いてきた自前のナショナルブランド(NB)を重視しており、コンビニ中心のPBに将来性をあまり感じなかったからです。

「正直あまりやりたくない」。食肉加工最大手、日本ハムの社内もそんな空気に包まれていました。セブンからピザトーストのPBの依頼が来ると、品質を優先して高めの値段で提案しました。明らかに同業他社より割高で、商品コンペに勝つ気があまりなかったわけです。

ところが日本ハムはセブンの指名を受けます。「安売りではなく、いいものの価値を伝えるのか。それなら前向きに取り組もう」。日本ハムがこだわりのピザトーストを開発すると、見事にヒットしました。デフレ下なのに、品質を優先するセブンPBの成功は小売業のあり方に影響を与えたと言っていいです。消費者の低価格志向に対応するのか、品質を打ち出すのか、小売業としての姿勢が問われたのです。

このころ、小売業界では「2強」という言葉が広がっていました。ダイエーやマイカル、地方スーパーをM&A(合併・買収)で飲み込み、低価格競争で覇を唱えるイオンと、そごう・西武を買収して総合型生活産業を掲げるセブンは対照的でした。PBでも両陣営は違いを見せました。セブンは2010年、品質に磨きをかけたシリーズ「セブンプレミアムゴールド」を投入します。

ビーフカレー、ビーフシチュー、豚角煮、銀だらの西京焼きなど食卓の主役級を打ち出したのです。ハンバーグの開発は日本ハムにお鉢が回ってきました。再び社内は戸惑いました。「ハンバーグの既製品は弁当や子供のランチ向けだ。プレミアムゾーンなんて存在するのか」。長年の常識が立ちはだかりました。

しかしセブンの鈴木氏は一貫していました。「いいハンバーグがいるんだ」

発売した「金のハンバーグ」は見事に当たり、日本ハムも「セブンは夕食のおいしいハンバーグ市場をつくった」と認める結果になりました。さらにヒットしても、それだけでは済みません。

「おいしいものほど、飽きられる」。鈴木氏が唱え続けた言葉は、今も有力メーカーにのしかかります。日本ハムは毎年のようにリニューアルに取り組み、2024年7月発売の14代目ではなんとソースにフランス・ボルドー産ワインを加えています。

世の中にない分野を切り開き、かつ専門店と同等以上の商品価値を提供する。2007年5月に49アイテムから始まったセブンプレミアムは2023年度に累計売上金額が15兆円を突破し、年間売上金額が10億円以上の商品が300アイテムを超えるまでに成長をしています。

これも、独自の高いクオリティを追求する商品開発と、顧客ニーズを的確に把握しているからこそだと思います。今後も、セブンの成長に期待しています。

※文中に記載の内容は特定銘柄の売買などの推奨、または価格などの上昇や下落を示唆するものではありません。