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「周縁部はずっと、軽視されてきた」 地域を覆う怒り、無力感

 2023年7月15日、秋田県は豪雨に見舞われた。16の河川が氾濫し、広範囲で浸水。秋田市では川の堤防が決壊し、田んぼに大量の土砂が流れ込む被害も発生した。特に秋田市中心部の様子は、SNSで拡散された。
 一方、秋田市の郊外にも 、表面化しにくいさまざまな被害と、怒りに覆われている地域がある。長年水害が頻発してきた秋田市下新城岩城(しもしんじょう・いわき)で、住民の声を聞いた。


 
 「早く川、直してければいいな」
 「んだな」
 
 水害があるたび、住民たちはそういう言葉を交わしてきた。
 「話をして、そこで終わる。それでまた次の災害が来て。それの繰り返しだ」。秋田市下新城岩城で農業を営む70代の男性が語る。 

無力感、そして怒り


  男性が暮らすのは槻ノ木(つきのき)という町内だ。自宅のすぐそばを新城川が流れている。古くから、大雨が降るたびに水が上がる。水害の常襲地であり、秋田県の河川改修事業の中でも最も対策が必要な地域の一つだ。

秋田市新城川岩城を流れる「新城川」

 あの日、男性と妻は、自宅居間の窓からずっと外を見ていた。あたりは湖のようになり、水は高さ1メートルほどの縁側ぎりぎりに迫った。急いで和室の畳をおこした。
 
 午後2時20分、男性宅を含む近隣20世帯に「避難指示」が出された。一家は茫然と、テレビ画面のテロップを眺めていた。

 「避難してくださいって言っても、だって水がね、こんなに来てるのに、どこにどうやって逃げるの。避難うんぬんって言ったって、矛盾してる話なんですよ。仮にボートがあっても水の流れが速いから、不可能だ」
 一家は屋内に待機した。1階に水が来たら2階に逃げよう、と話し合った。
 
 水が引いたのは翌朝だ。
 町内47世帯のうち15世帯が床上浸水、20世帯が床下浸水の被害に遭った。男性宅は床下浸水だったが、1階の一部に泥水が入り込んだ。農機具や作業小屋も水をかぶった。
 
 大雨が去ったとき、残ったのは無力感。そして怒りだ。
 
 「先が見えないっていうかね。水が来れば、神様にお願いするしかないんだ、ここは」
 
 新城川の水害対策がスタートしたのは、今からおよそ30年前だという。
 「進め方が遅すぎる。真剣さが、足りない」と男性は感じてきた。
 
 「この30年、下流から順番に工事をやっていると県は言うけど、その間、どれくらい進んできたのか。なぜ、ここは後回しなのか」 

着工は32年前、完工は15年後

 
 新城川はどこまで工事が進んでいるのか、あと、どれくらいかかるのか。
 河川改修を担当する秋田県秋田地域振興局建設部企画・建設課を訪ねた。

秋田県の資料を基に作成

 秋田県によると、新城川の河川改修に着手したのは1991年。今から32年前だ。
 ❶の地点から❹の地点までの総延長4.7キロを、4期に分けて改修する。工事の内容は川幅を広げ、川底を掘削することで流量を増やし、氾濫を防ぐものだ。総工費は約107億円。国の補助事業で国と県が半額ずつ負担している。

  ❶の区間を終わらせるのに要した年月は23年。JRの線路や国道をまたぐため時間がかかったという。男性たちの集落があるのは❹の地点。最も上流にある940メートルの区間で、県の計画では最後に着手する場所になっている。

 私は、準備していた質問を始めた。
 
―−すべての工事が終わるのに、あとどれくらいかかるのでしょうか。
 
企画・建設課 
いま進めている❸の工事が2029年度の終了を目標にしています。それから❹に着手することになるので、全体の工事が終わるのは2038年の予定です。
 
 15年後ー。気が遠くなった。しかもこれは「うまくいって15年」だという。用地買収などに手間取ると一層時間がかかる可能性がある。2038年終了は「スムーズに進んだ場合」の工期だ。
 
 新城川の河川改修は、着工から数えて47年、およそ半世紀を要していることになる。
 
―−これから工事を早めるとか、同時並行で進めるということはできないのでしょうか
 
企画・建設課 ❶❷の区間は並行して進めていましたが、同じ事業費で行うので同時並行だと全体的に工事が進むペースが遅くなって、効果が出るまでに時間がかかってしまう。整備効果がある区間を区切って、集中的にやっていくことが必要です。ただ、整備計画は今回の大雨被害が起こる以前のものなので、並行してやるということも見据えて考えなければならないし、必要性があることはとてもよく分かっているんですが…。現時点でお話できるのは、❸の区間を集中的にやっているということです。 

「地元への情報が足りない」

 県の回答を持って、再び男性を訪ねた。
 
 男性は「地元への情報が足りない」と語る。
 今から数年前のこと、県側に「完工までどれくらいかかるのか」と尋ねたことがある。「予算が限られている」「下流から順番に進めている」という答えだった。重ねて「何年かかるのか」と尋ねると、当時の担当者は「なんともいえないですね」と、はぐらかしたという。

 明確な回答をしてくれない、そして半ば笑っていた顔を見て、怒りを感じた。
 
 「住んでみなければ、当事者でなければ、分からないんだ」
 
 男性と妻は、ことあるごとに県や市に声を伝えてきた。声を上げなければ伝わらないからだ。
「水害はね、水が引けると、被害が分からない。ここまで水が来たといっても『ああ、そうなんですか』で終わってしまう。水が引いてしまえば、分からないんだ」

秋田市下新城を流れる「新城川」。氾濫で運ばれてきた廃材などのごみが、今も所々に残る

 集落を歩くと、水害が残していった廃材やごみが今も所々に残っている。浸水によって住めなくなった家屋の壁は水をかぶった高さまで黒ずみ、取り壊しを待つだけの状態になっていて、住民の姿はない。すでに取り壊されている家屋もある。

 この地域は、そうして30年待たされ、半ば見て見ぬふりをされてきた。
 そしてさらに15年、待たされることになる。
 
 地域からは若い世代が出て行っている。子どもも減っている。
 「田舎はなくせってことなのかな」

新城川河川改修工事の最終地点付近。秋田県の計画では、ここまで来るのに少なくとも15年はかかるという

堪えてきた農家に追い打ち


 近年の雨の降り方は尋常ではない。特に今夏の大雨は、これまでなかった被害をもたらした。
 
 「一番ひどかったのは小屋。3棟あります。乾燥機は、モーターがちょっと狂って、自費で修理した。あとは軽トラ2台とも、パーになって」
被害は、軽自動車2台と乾燥機、もみすり機、耕運機などの農機具。修理費などの自己負担は約200万円に及んだ。稲刈りを控えていたこともあり、農機具はすぐに修理しなければならなかった。新たに水害の保険に入り、保険料も跳ね上がった。
 
 「こういう目に遭うと、もう、農地も何も、ない方がいいっていう気持ちになる。何もない方が、うん。農業をやっていなければ、何も費用がかからない。農機具の修理だって要らない。農機具は年数使えば消耗して買い替えもある。経費を引いて、なんぼの利益があるかっていう…。そういうのを全部考えれば、はっきり言って、そういう(離農する)気持ちにもなってくる」
 
 男性がスマホで撮影した1枚の写真を見せてくれた。2017年の水害のものだ。水が家周辺を覆って湖のようになり、縁側付近まで迫っている。
「ここに生まれてからこういうふうな状態がもう7、8回はあるんですよ。それで大水警報とか何か発生した場合は、まず、うちのところの被害がすごい」
 
 雨脚が強まると、心が休まらない。
 「私たちはもうね、1日中雨が降ってると、水が上がるんでないかとハラハラして。また上がる、また上がるって…」と妻は語る。
 
 「近年の降り方は異常です。今後も、こういう降り方があり得ると思うんですよ。もしかすると明日、同じように降るかもしれない」

秋田市下新城岩城にある橋。7月の水害時には橋の中ほどにあるソーラーパネルの上まで水が上がったという

 男性は農家の3代目だ。中学生の時に父を亡くし、秋田市内の企業に勤めながら兼業農家として働いてきた。朝は3時、4時に起きて農作業の後に出勤。午後5時に帰ってくると、日が暮れるまで草刈りなどの作業をした。専業になったのは65歳で定年を迎えてからだ。
 
 そのころから「うちの田んぼを頼む」と委託されることが増えていった。
 現在は、自身の田んぼ約4ヘクタールのほか、委託の田んぼ約4ヘクタールの計8ヘクタール(東京ドームおよそ1・7個分)を妻と2人で耕している。勤め人の息子たちも、田植え・稲刈りの農繁期には手伝っている。
 
 「委託を受けているのは、7軒だね。この町内も平均して70歳前後の人が多くて。あと、農業を継いでいる人はもう少ないですね。いずれ、もう10年、20年たてば、完全にもう…」 

気力が奪われていく

 
 これまで、当たり前のこととして農地を耕してきた。
 その資本は、体力と気力。「こういう災害とかあれば、やっぱりなかなか…。いくら修復して直しても、また来るっていうふうな気持ちがあるから、やる気が。先が見えないっていうか…。4、5年前、10年前ならば、まだ若かった。でもやっぱり、70歳過ぎてくれば、動くことも大変なんだ、管理も」
 
 「農業も、昔はそれなりに収入があった。今はもうほとんど、トントンもしくはマイナス。米は安いし、資材は高いし。だから労力のことを考えれば、本当にマイナス。プラスの計算にはならない。そしてこのぐらいの面積をやるっていうと、機械も結構かかるんですよ。ローンです。それがかなりネックなんです。機械が高いから、米の収入上げても、ローンを払うんで精一杯なんです。ローンのためにやってるんだ、たぶん、農家の人はみんな」
 
 そういう現状に、水害が追い打ちをかけた。
 
 男性は最近、息子から「なんでこんなことをやってるんだ」と言われた。
 「前から、だんだん(農業をやめようと)思っていた。ただ先がなんか、明るい展望があれば、もうちょっと頑張るかって思うけど、ここにこういう水害があると、一発でもう…。何回も水害があって、壊れたところを直したり、砂利を敷いたり舗装したりやってみても、一気にやられれば、またその繰り返し。負けてしまうな。どうしようもないもの」
 

河川工事を急いでほしい

 
 周囲からは「うちも農機具がだめになった」「年齢も年齢だし、離農する」という声が聞こえてくる。
 
 「工事するには基本的には河口から順番にやっていくっていう話なんだけど、それを待ってられないんだ。できれば、並行の工事をしてほしい」
 
 大雨被害を経て感じたことがある。地域の声が、市議会や県議会に届いていないということだ。ニュースも災害ごみの回収も、市街地が優先されているように思えた。
 
 「(行政の人が来て)我々がこうしゃべったって、うんうん、て聞いて、その場限りだから。いずれ、一番伝えたいことは、新城川の河川改修を、早くやってもらいたい。今の気象状況を見れば、水害が起きないということはないと思う。水害のニュースっていうのは、そのときだけで、あとはテレビに映ることもあまりないし。それで、被害を知らない人は『たいへんだったな』で、終わってしまうから」
 
【秋田市下新城岩城の住民の女性】
 大雨では秋田市の中心部のことばかり取り上げられていると思いました。でもここは毎年、もう何十年も水が上がってきた。すぐに湖みたいになって、逃げることもできない。陸の孤島になる。農機具がダメになって離農する人もいます。今回の水害でそうなったんじゃなくて、これまでも何度も水害で修理をしてきて、もういよいよダメだとなったんです。早く工事を進めてほしい。
 
【秋田市下新城岩城の住民の男性】
 もう十何年も前から秋田県にも秋田市にも工事のことはお願いしてきた。今回の雨は本当にひどくて、うちは床上浸水だった。床下浸水がこれまで3回あった。早く工事してほしい。それだけだ。
              (三浦美和子)

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