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NPO法人「教育のためのコミュニケーション」できました

 気付いたら1年以上も更新していなかったが、その間何もしていなかったわけでもなく、むしろ自分の人生の中では重大なことがいくつか起きていた。しかし、このnoteにとって重要なことはただひとつ、「教育のためのコミュニケーション」という名のNPO法人を設立したことだ。
https://comforedu.org/

放っておくと怠惰になるから

 NPO法人を作るぞ!と言うと、「どうしてNPO法人なの」と質問されることがある。この質問に込められた意図は2つに分類できる。ひとつは「どうしてわざわざ法人組織を作る必要があるのか」というもの、もうひとつは「どうして企業や社団法人ではないのか」というものだ。
 なぜわざわざ法人組織を作るのか。これまでも大学の仕事をしながら、副業やボランティアとして他の学校の広報研修の講師をしたり、イベントを開催したりしていたから、複雑な手続きまでして法人組織を立ち上げなくても、確かにいろんな活動はできる。しかしそれらの活動は、結局のところ自分が所属する大学の広報職員の仕事の延長として受容される。活動をもっと社会的にしていこうとすると、本業の延長である(延長でしかない)という状況はときに足かせとなり、自分にも所属大学にも無用なリスクを与えるかも知れない。それを避けるためにはどうしてももうひとつ足場が欲しくなる。
 ところが自分は根が怠惰なので、ひとりで足場を組み立てようとするとサグラダファミリア並みに未完となり、それどころかかろうじて作ってもところどころボルトが緩く、いつ崩れるかわからない足場になる。自分に対する責任はいい加減だから、ちゃんとやるには誰か他の人を巻き込んで、その人たちに対しても一定の責任を負うような状況にしておかないと、気付くとすぐ怠けてしまうのだ(このnoteのように!)。
 実際にやってみてわかったことは、この「戦略」は自分に合っていたということだ。法人化するために定款に目的を書く、役員になってもらう人を探す、会員を募集して会費をいただく、年に1回事業を総括して総会を開く。自分の思想信条のような内的要因ではなく、法人組織であるがために否応なしに発生するこういう外的要因は、明らかに自分のペースメーカーになっている。

NPOがしっくり

 では、なぜ企業や一般社団法人ではないのか。
 一般社団法人に比べると、NPO法人のほうが設立も維持も少し大変だ。10人以上の会員名簿の提出も必要で、毎年所轄庁に事業報告書、会計報告書を提出しなければならない。「一般社団法人のほうが簡単だよ」という助言もいただいた。それでもNPO法人を選んだのは、前述の、自分をモチベートさせる外的要因のバランス(一般社団法人ではたぶん緩すぎる)の問題もあるが、もっとシンプルな理由として、自分がNPO法人の役員の経験があるからだ。法人として必要な1年間のルーティンのイメージがそれなりにわかる。加えて、地域の市民活動の度合いを測る指標として、人口あたりのNPO数を参照することがあるとも聞き、こんな自分でも貢献できるかも知れないと思った。
 企業ではない一番の理由は、これはもっと俗物的で、法人税が減免されるからだ。将来的にはともかく、しばらくは法人税が発生する類の収益事業はしないし、年間7万円の税金を払うような財政基盤もない。それからもう少し崇高な理由は、僕たちのミッションが、大きなマーケットに対する抵抗を最初から孕むことだ。ここ数年、「教育」のマーケットは急速に広がっている。一般に、市場が活性化すればコミュニケーションも活性化する。だから、その状況をきちんと見極めれば、どの立ち位置でコミュニケーションを展開すれば最も儲かるかもそれなりにわかる。じゃあ、僕たちもそっちへ勇んで進みゆくかというと、その意志はなく、むしろ教育の歴史を踏まえず経済的メリットに添った形で肥大する言説があれば、僕たちははっきりとそれに対峙する。もちろん、その戦略自体が新たな経済的メリットをもたらす可能性もある。それはそれでいい。でもそうでなくてもいい。重要なのはそこではない―と考えると、やっぱりNPO法人がしっくり来るのだ。

さて、何をするか

 NPO法人として何をしていくかは、ひとまずホームページをご覧いただければと思う(かといってホームページを見てもよくわからないかも知れない)。定款には、「この法人は、教育事業者や教育に関わる個人や団体に対して、学校教育や社会教育に係る広報・コミュニケーション活動に関する企画・相談・研究の事業を行い、より良い教育制度や教育方法の実現に寄与することを目的とする」と書いた。もっともわかりやすい仕事は、学校や社会教育の広報の相談にのったり、広報媒体の制作を手伝ったりしながら、そのプロセスでいろんな人を巻き込み、コミュニティにおいて共感できる学校観・教育観を見出すことだ。
 そしてもっと大きな作業として、教育をめぐるナラティブの分捕り合戦を俯瞰しながら、豊かな対話とファクトチェックを促すということがある。それは僕が個人としてもライフワークとして取り組むミッションである。
 ひとりでできることは限られるが、本当に幸いなことに、設立時点で40人もの方が会員になってくださった。多様な仲間の輪を力に、気合が入る。


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