僕はアレルギーのことを嫌いになれない
「え、かわいそう!!」
アレルギーがある事を打ち明ける度に、こう言われてきた。
あとは「アイスが食べられないなんて人生損してる」「え、ヨーグルトもダメなの?」「卵かけご飯食べたことないのか〜」なんてのが定番フレーズ。
こっちは何百回と繰り返したやり取りだからちっとも愉快じゃないけど、毎回新鮮なリアクションをしてもらえるので、鉄板ネタを劇場で何度も何度も繰り返すお笑い芸人もこんな気持ちなのかなあ、なんて考えたりもする。
僕は生の牛乳、生の卵、キウイが食べられない。昔はエビ・カニ・そばとかも食べられなかったけど、治った。(ちなみに僕の父親は大の牛乳好きなので、神様もなかなか皮肉を効かせてるな、と思っている。)
寿司屋に行っても、うに・いくらは食べられない。あんみつを頼んでもバニラアイスは抜き。コンビニでアイスじゃんけんをするときもガリガリ君、といった具合。ケーキ屋さんに至っては、食べられるものを探すほうが難しい。
「食べられない」と言った時に「好き嫌い?」と何の気なしに聞かれ苛立ったこともある。(基本的に食べられるものには好き嫌いはない。)
高校の担任が気を利かせて買ってきてくれた差し入れのアイスを食べられなかった時は、申し訳ないな、と悲しくなった。
ことあるごとに「かわいそう」を浴び続けた僕は、時には自分でもかわいそうだな、と思ったり、またある時には、アイスなんて食べると健康に悪いから食べられなくてよかった、と斜に構えたりもした。
人生が辛かった時には、家の冷蔵庫にある牛乳を一気飲みすれば死ねるんだよな、なんて考えたりもした。
ただ、大人に近づくにつれて「かわいそう」と言われる回数も減った。
食べるものは自分で選べばアレルギーのものを食べることはないし、付き合いのある人たちの年齢が上がったことで理解されることが増えた。
大学の人たちはおおらかで、そもそもそんなことを気にしない人も多かった。
それでも、幼い頃に言われ続けた言葉はなかなか自分の中からは消えてくれない。自分はかわいそうなやつなのかな、と今でも思うこともある。
悪気のない「かわいそう」をどう自分の中で処理すればいいのかわからない。アイスを食べられないから本当に人生損してるかも、と考える。
そんな風に考えていたが先日、文庫版が発売された小説「夫のちんぽが入らない」(こだま著、講談社)を読み、このことについてのモヤモヤが少し晴れた。
タイトルの通り夫との性行為、そして家族関係、仕事、健康な生活その他色々がうまくできない主人公が自分の境遇にもがき、打ち負かされ、それでも生きていくこの小説。
(内容を書くと長くなるので書きません。ぜひ読んでみてください。)
小説本文を読み終え、余韻に浸りながら読んでいた付録エッセイの一節にこうあった。
私たちは不運だったかもしれないけど、決して不幸ではない。
その通りだと感じた。
確かに、これからも差し入れのアイスが食べられずに悲しくなることもあるだろう。きっと「かわいそう」を何度も受け取ることにもなると思う。間違いなく不運だ。
けれども、食べられないものを食べられない人生を、幸せか不幸せかと判断を下すのは、自分も含め誰にもできない。
(地球に隕石がぶつかって、何かの幸運でたった一人生き残ってしまっても、決して幸せとは言えないように)
母は誕生日になると手作りのシフォンケーキを焼いてくれた。
わざわざ食べられるお土産を買って来てくれる友達もいた。
血液検査のおかげで注射が全然怖くなくなった。
場の雰囲気を壊さないように自分のアレルギーを伝えて来たから、気を遣った発言ができるようになった。
そういうことはアレルギーがなかったら決して僕の人生にはないことだった。
何もアレルギーだけの話ではない。
人は、自分の得意なこと、苦手なこと、コンプレックスとか全部全部抱えながら、人生を生きている。そういうモロモロで、出会う人が変わり、感じる幸せが変わり、人生が進んでいく。
だからたとえ不運があったとしても、それ即ち不幸ということは多分ない。
ただ単に、それを踏まえた人生がそのあと待っているだけだ。
そう考えると、バカボンパパよろしく「これでいいのだ」と暖かい、優しい気持ちを持つことができた。それがとても嬉しくて、心地よかった。
状況は何にも変わっていないけど、22年間ずっと付き合って来たアレルギーが、悪い奴にはとても思えなくなっていた。
きっとこれからの人生も悲しみは尽きない。嫌なこともたくさんある。
でも、そうでなければ出会えないこともたくさんある。
だから、ただ生きて、ただそれを感じればいい。そう思う。
そんなわけで、僕はアレルギーのことを嫌いになれない。
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noteを作ったはいいもの、何をテーマにしようかなどと考えているうちにずいぶん時間が経ってしまったので、とりあえず自分が人生で一番長く付き合っていることを書きました。
素直に書きます。出会った人やものが、自分の人生からどう見えるのかを記録しています。