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言葉の豊かさは思考の豊かさに直結する

「思考」に関するキーコンセプト
よくある「思考の落とし穴」に落ちないために

43:シニフィアンとシニフィエ

「モノ」があって「コトバ」がある。私たちは通常、「モノ」という実在があって、それに対して「コトバ」が後追いで付けられたように感じています。

違うんですか??

しかし、本当にそうなのであれば、モノの体系と言語の体系が文化圏によって異なる事が説明できません。ある言葉が概念として指し示す範囲が、文化圏によって違うのです。例えば、日本人は「蛾」と「蝶」という二種類の虫がもともとあって名付けられたと考えがちですが、フランス語にはそれらを包含する「パピヨン」という言葉しかありません。

ソシュールは、概念を示す言葉をシニフィアン、言葉によって示される概念そのものをシニフィエと名付けます。
日本語では「蝶」と「蛾」という二つのシニフィアンを用いて、二つのシニフィエを示しているのに対して、フランス語では「パピヨン」というシニフィアンを用いて、日本語の「蝶」でも「蛾」でもない、両者が合わさったようなシニフィエを示しているということです。

なんというか、言葉遊びみたいな感じですが、なるほどねと思う事はあります。

さて、ソシュールによる指摘は、なぜ重要なのでしょうか。
二つの点があります。
一点目は、私たちの世界認識は、自分たちが依拠している言語システムによって大きく規定されている、ということを示唆するからです。
二点目は、語彙の豊かさが世界を分析的に把握する力量に直結する、ということを示唆するからです。

ここは、要約出来ません。興味のある方は、本書を読んで下さい(^^;;

筆者はまとめます。
ポイントは二つです。まず、私たちは、自分が依拠している言語の枠組みによってしか、世界を把握することはできないということ。二つ目には、それでもなお、より精密に、細かいメスシリンダーを用いて計量するように世界を把握することを試みるのであれば、言葉の限界も知りながら、より多くの言葉=シニフィアンを組み合わせることで、精密にシニフィエを描き出す努力が必要だということではないでしょうか。

フランス語だからなのか、全然ピンと来ない話しですね。まぁ、英語でも分かるか分かりませんが(^^;;
この項では、筆者自身、面白いことを言っています。


本書で説明している哲学・思想の用語、これらは日常生活を送る上ではほとんど役に立ちませんが、目の前で起きている事象をより正確に把握するための洞察を与えてくれるはずです。なぜ、概念が洞察を与えてくれるのかというと、それは新しい「世界を把握する切り口」を与えてくれるからです。

ボケーっと生きていては駄目ですね(笑)




ここまで読んで頂きありがとうございます😊