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言い訳グセ

なにかやりたいことがあっても、始める前から言い訳している。お得意の前置きは、「できるかはわからないけれど~」だ。どんなことにも、まずこの言葉をつけてから話す。自分から率先してやること(例えば、自分からなんらかのプロジェクトを計画するとか)には、とりわけこの言葉を使ってしまう。

なぜなのか。自分から言っているはずなのに、言い訳するならやらなければいいのに、なぜなのか。できるはずがないと囁く自分がいるのだ。やりたい自分とできるはずがないと考えている自分。その二人が脳内で囁きあっている。時には二人は論争を始めて、結局うやむやになって何もしないまま時間が過ぎたりもする。

人には、なぜそんなにも自信がないのかと突っ込まれる。なぜかと聞かれても、わからない。ただ、やはり二人の自分が脳内会議をしている。その結果、失敗する怖さとうまくいく想像を天秤にかけて、「やるだけやってみるけれど失敗したときの安心はほしい」というところに落ち着く。崖から落ちるのはいいが、崖の下にクッションは置いてほしい、というわけだ。

やるだけやるのなら、言い訳の必要もないだろう。というか、何かを始める時点で自信がないわけではないのではないか。そう思われるかもしれない。実は単にプライドが高いだけで、失敗したときの予防線はプライドが傷つかないようにするための措置なのか。そう考えることもある。実際そうなのかもしれない。そう思うと、少し悲しい。

この言い訳グセはもはや無意識的なもので、きっと治すためにはかなりの矯正が必要だろう。それは面倒だし、そもそも治す気はさらさらないので、どうにか肯定的に考えられないかと思っている。でも、やっぱり否定的にしかとらえられない。自分だったら、「できるかわからないけれど~」を前置きに使うやつに仕事を頼みたくない。困ったものだ。しかし、どうこう言っても変えるに変えられないのがクセというもの。今後も付き合っていくしかないのかもしれない。

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