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明日からは

えたいの知れない不吉な塊が私の心を終始圧えつけていた。焦燥と云おうか、嫌悪と云おうか──酒を飲んだあとに宿酔があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。それが来たのだ。これはちょっといけなかった。
1月8日にして、酒の飲み始めであった。

今日で正月休みが終わった。明日からは日常が戻ってくる。それは歓迎されるべきものであると思っている。同じような日々がまた明日から続いていく。しかしながら、1日として、一瞬として同じ時間は来ない。一日、一日が特別でかけがいのないものになる。日常なのに特別であるという究極の矛盾が日々に輝きを持たせていくと思っている。だからこそ、その一瞬、一瞬を大切にしないといけないと思う。
その一瞬は一生残っていくものであると心に刻んで。

今日、なんとかやるべきことを終わらせた。それがよしとされるかどうかはまだ分からないが、肩の荷がおりた。我ながら、それなりの出来だと思っているが果たしてどうだろうか。
弟子として、ここまでかけてくれた時間に対してどう成果を返していけるか。これはこの先何十年とかけて答えを出していかなければならない。これは責任と覚悟である。
常に、優秀でなければならないと思っている。なぜか。優秀と言われ続けなければならない。それは関わってくれた全ての人が優秀であると証明するためである。別に自分自身が優秀だなんて思っていない。言われたいわけでも名誉が欲しいわけでもない。ただ、向けられた褒め言葉は過去に関わってくださった全ての方への賞賛であると思う。だから、賞賛されるよう努力し続けねばならないのだ。その賞賛は未来の希望の棚にもなっていくのだから。
一つやるべきことを終えて改めてそう思った。

久しぶりに寿司を食べた。めっちゃ美味しいよね寿司って。ただただ美味しさに感動した。ご飯をケチる人とは絶対に仲良くなれないと思った。たぶん、自分の楽しみとか、生きているって感覚的な部分を共有できなければ仲良くなるなんて無理なんだろうなと思った。食と美はたぶん譲れないものなんだろうなと。そんなところで我慢してどうするんだと。

覚悟の磨き方ってのがあるらしい。今日は吉田松陰の言葉をたくさん浴びた。一つ言えることは、彼は異端児である。普通じゃない。普通じゃないからできることがある。いつだって世の中を変えていくのは変人であり、異端児である。平易な言い方にするならば嫌われ者だろう。嫌われる勇気はそこにあるかと問われているような気がした。あ、それはアドラーの話か。

明日から日記がかけるのか。一番不安なのはそこ。明日さえ乗り切れれば波に乗れるだろう。

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