すなば

文章を書き、犬を眺め、虫から逃げる。

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あなたの頭撫でた嘘のような朝日だった

 ドアを開けて、粗く切り刻まれた無数の写真が雛を守る鳥の巣のように、座り込む彼女を取り囲んでいるのを見て、僕はもうここに居ることはできないと思った。彼女は俯いていて、眠っているようにも見えた。  僕はリュックサックを下ろして床に置き、刻まれた写真の破片を踏まないように気を付けながら、彼女のそばに寄って膝をつき、身をかがめた。彼女は眠ってはいなかった。真下の一点を見つめながら、荒く、静かな呼吸を繰り返していた。  彼女の名前を優しく呼びながら手をのべようとした時、まだ指先も上が

    • 花火尽きてから話をしよう

       公園には遊んでいる子供が二人だけいて、先客はなかった。僕たちはベンチのそばの場所を選んでバケツに水を入れて置き、花火セットをベンチの上に置いて各々作業を始めた。  まだ日は暮れていないが、夕方の風はすでに涼しく、乾いた秋の匂いが混じっている。 「風があるとロウソクが心配だな」  花火セットの中のちゃちなロウソクとロウソク立てを地面に置きながら僕が言うと、彼女は「穴を掘って入れればいいんだよ」と予想外のことを言った。 「穴?」 「だからこうやって――」  彼女はそのへんに落ち

      • 夜のあなた

        親愛なる服屋へ 夜のあなたがきて夜になった 煙追った夏のゆくえ 笑えば酒がこぼれる 手には何もない夕さり 踏み鳴らした初めての街だ 向かい合って忘れあった話 おろした冬に袖を通す 眠ればあんなに遠くなった月 抱きしめた夢に生かされている 花は咲く夜のあなたに

        • 盃とドーナツ

          敬愛する伊達者へ 酌み交わせば夏が終わる海の話 話聞いている指先に火が点る アジフライがきて黙っている 目の奥はまだ恋の歌 夜明けの街で眠ってしまった 愛は朝に書く手紙 道で口ずさむ歌がある どんな日も声がした渋谷 歩いた先を家にしている 夜咄は皿の上のドーナツ

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        • 自由律俳句集
          2本

        記事

          曇りの朝に生まれ落ちた話

           冬子がアルマジロになりたいと告げた時、彼女の父は当然反対した。一度何か別のものに変身すると、もう戻ることはできない。人間以外のものになる選択をするというのは、同時に、家族と永遠にその縁を断たれるということだ。父のマンフレートは思わず節くれだった両手で自分の顔を覆った。冬子の決意が固いことは、彼にはもう分かっていた。女子高生だった頃にドイツ民族の男に変身した身である彼に、冬子の変身を止める権利などないということも。  変身の前にマンフレートに告げたのは、冬子なりの父への誠意だ

          曇りの朝に生まれ落ちた話

          君と金魚を見るということ

           坂を登りきると生々しい匂いがした。水の音の方に振り向くと、青いプラスチックでできたプールみたいな生簀が地面に置いてあって、中におびただしい数の真っ赤な金魚がさらさらと泳いでいる。生簀には「1匹180円」と黒マジックで書かれた段ボールが立てかけてあり、その隣には両手で抱えられるくらいのアクリル水槽があって、水草の間隙を縫うようにグッピーがせわしなく泳ぐ。地面にそのような水槽が大小7つは置いてあった。夏の強い日差しを遮るトタン屋根に水面の光がゆらゆら反射して、ガレージのようなそ

          君と金魚を見るということ

          夏の夜世界中が海

           夜の海はどこまでも広がる虚無をたたえた膜のようだった。それは自分が知っている海とはぜんぜん違う姿で、もはや"姿"と呼ぶべきものがそこにあるのかも分からないほど茫漠とした、不安や恐怖さえも飲み込んでしまうような途方のなさがあった。  温泉旅館の客室の窓から見た夜の海も、国道を歩きながら横目に見た夜の海も、海水浴場で花火をしたときの夜の海も、タヒチのビーチで見た夜の海も、夜の海は夜の海としていつも圧倒的に横たわっていた。波の音は海が何かを騙そうとして囁く音なのだと思った。夜の海

          夏の夜世界中が海

          夜を絞り出してため息

           日が沈んで夜が更けていくとき、私はいつも一本のチューブを思い浮かべる。歯磨き粉やトウガラシのペーストが入っているような銀色のチューブから、夜が絞り出されてバケツに満たされた水に溶け込んでいく。バケツの底にはビルが水草みたいに(あるいは泥の塊のように)張り付いていて、そのさらに下にミジンコみたいな私たちがうろうろしている。  もう外は夜の色に沈み切っているに違いなかった。グラスに注がれるワインと同じペースで目減りしていく人生について考えながら、私は黒くて透明な液体をたたえた

          夜を絞り出してため息