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【エッセイ】時間の波を家族と。(1,500字)

時の流れは、ほんとうにあっという間だ。
息子が生まれてからの1年と数ヶ月は特に目まぐるしく過ぎていったけれど、思えばそれ以前もそうである。

飛びはねて喜ぶ日もあれば、おでこがすり減るくらい落ち込む日もあったし、鼻歌まじりで湯船につかることもあれば、やけに布団がおもたく感じる夜もあった。

そんな高低差のある、荒波のような日々をなんとか乗り越えてきたというのに、いまとなって振り返ってみると、思い出せないことの方が多いように思う。
まいにち必死に生きて、頭にぎゅうぎゅうと詰まっていたはずの記憶は、時間の波に揺られるうちに、いつの間にかこぼれ落ち、想い出となる前に波の中へと消えてしまうのだ。

ところで、僕は先日、心があたたかくなる夢をみた。

僕たち夫婦がまだ恋人だったときの夢。
舞台は、当時の彼女が住んでいたアパートだ。山に囲まれた小さな町の端っこにある、2DKのアパート。
そのリビングで、僕は文庫本を片手に、シミのついた低いソファーにいた。

窓から見えるのはたくさんの緑。
背の高い木々たちをすっぽりと覆う葉が、たのしそうにゆらゆらと踊っている。
土のにおいがするほんわり温かい空気が窓から入ってきて、リビングを包んでいた。

時計が進む音にまぎれて、時おり彼女の鼻歌が聞こえる。
せまい部屋の、低いソファーで、僕は文庫本をパラパラとめくり、彼女はハンドメイドのピアスとじゃれあっている。

久しぶりの景色だ。
どうやら、夢の中でも懐かしさを感じるみたいだ。

せまいし、古いし、おまけにコンビニは車で10分のアパートだから、決して住み心地がいいとは言えなかったけれど、なんでもない休日に、それぞれ好きに過ごす時間はとても幸せだった。

「ねぇ、このピアスかわいくない?」
「お、いいねぇ」
「だよねー……」

ぽつりぽつりとしか会話がなくても、おなじ空間で、おなじ時間を共有している。
それだけでよかった。

彼女の横顔を見つめながら、胸の中にじんわりと幸せが広がっていくのがわかった。

夢から覚めた。

見慣れた天井が薄暗く広がり、ストーブの唸る声が遠くに聞こえる。

あぁ、懐かしいなぁ。幸せな時間だったなぁ。
ひんやりとした布団のなかで、心があたたかくなるのを感じながら、もぞもぞと体をくねらせて横を見ると、僕と妻に挟まれて、なんともやわらかい寝顔の息子がいる。

好奇心やら甘えんぼうやら、周りを困惑させる鎧を脱いだ、純粋な幸せのカタマリ。

夢でみた頃の僕には想像もしていなかったものが、責任感とともに、いつの間にか存在している。

ここまで、ほんとうにあっという間だった。
彼女と過ごしたあのなんでもない休日から、かけがえのないこの寝顔を横にするまで、まさに、夢から覚めたかのように、ほんの一瞬のできごとのようだ。

誰しもが同じかもしれないが、僕もひっきりなしに押し寄せる時間の波に揺られ続けてきたんだと、ふと気づく。
これからも波はやってきて、ものすごい力で僕を未来へと運んでいくんだろう。

楽しかった記憶も、悲しかった記憶も、その波に乗れるのはほんのわずかで、ほとんどはこぼれ落ちてどこかへ消えてしまう。

いつか、パタリと波がおさまったとき、僕はどれくらいの想い出を抱えられているんだろうか。

仕事も子育ても、まいにちのミッションをこなすので精一杯で、しょうじき余裕なんてないのだけれど、できることなら、たくさんの想い出といっしょに船をおりたい。

そのために、いいものも悪いものも、大きいものも小さいものも、ありとあらゆる記憶を波のなかに見失わないように、愛する家族と波に揺られ続けていきたい。

深く、深く、家族をずっと愛し、強く、強く、抱きしめながら。

少し感傷的な、夜中3時だった。


~完~



最後までご覧いただきありがとうございました!

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