追放ざまぁは、ラノベ界隈の救世主だった
皆様、こんにちは。こむてくです。今回は、タイトルの通りかつて『小説家になろう』で大流行した『追放ざまぁ』についてです。
まず断りを入れておきますが、これはあくまでも『いち個人の見解』です。主観や誤認識がどう心がけてもゼロにはならない点は、あらかじめご了承お願いします。
追放ざまぁ、とは
まず、「追放ざまぁとは何か」です。
これは、「小説家になろう」のいわゆるテンプレのひとつで、「社会や権力者の理不尽により島流しにされた主人公が流刑地にて幸せになったり力をつけてその報復を行う話」が主な内容となります。
以下ではその栄枯盛衰について語りたいと思います。
流行った理由
・共感してもらいやすかった
社会や権力者の理不尽による村八分は、現実でもよくある話です。きな臭い話に関して特定の人物に全責任を擦りつけてトカゲのしっぽ切りを行ったり、権力闘争で罠にはめて追い出したり出る杭を打って叩き潰したりなど。
あと、このような仕打ちを受ける人は、たいてい能力や人望に優れ、また真面目で責任感のある人が多いんですね。
ですから、主人公が「共感できる人」とも、「共感したくなる人」とも受け取ってもらいやすかったわけです。
・話がシンプルでわかりやすかった
小説、特にライトノベルで実はものすごく重要かつ大変なものが、「問題提起」です。ですが、「追放ざまぁ」は、それが極めてシンプルで説明が簡単だったんですね。
ライトノベルは、文字通り「ライトなノベル」です。そこに小難しい話を並べては、読者に見放されやすくなります。
ですが、その点で「追放ざまぁ」は「権力者が主人公を村八分」にするだけで、「主人公」「世界観」「悪役」が浮き彫りにされて「問題提起」が完了します。
そこを踏まえて書くだけで、「ライトなノベル」の出来上がりです。
・書く側にも読む側にも予備知識をほとんど求められなかった
通常、創作は作り込めば作り込むほど膨大な設定が必要となります。なおかつそれをわかりやすくダレないように説明しないといけないのが創作の難しさです。
ですが、それだけシンプルな話です。
魔王やドラゴンや架空の世界ならではの問題が出てくる小難しい世界観を膨大な設定を作りながら書く必要も無ければ、暗黙の了解といわんばかりに読む側に求められる地理や歴史の教養もほとんど求められないのが「追放ざまぁ」でした。
無学でも書けて、無学でも読めたのが「追放ざまぁ」だったわけです。
流行した闇の理由
以上が追放ざまぁが流行した理由の「光の部分」ですが、流行した理由として、「界隈の闇」もあったわけです。以下はそれについてです。
・第一章最終話を物語のクライマックスとし、それ以降はただの尺稼ぎでよかった
文庫本1冊ぶんの約10万文字、これはただ書くだけでもものすごく大変な数字です。ましてや最終話をクライマックスとして話をまとめるとなると、構想から膨大な労力が必要となります。
ですが、「追放ざまぁ」は受けた仕打ちを乗り越える瞬間が作品全体のクライマックスです。
書く側は、そこまでの話をまとめれば、あとはエピローグや番外編を10万文字に達するまで書き連ねるだけでよかったです。
ですから、相当手間を省けたんですね。
・どの作品もこの作品も似たりよったりの金太郎飴であってくれた
一見すると良くないことに捉えられそうですが、これ、「界隈民」からすればありがたい話だったんですね。web小説、書いてサイトに投稿するだけなので、巷に出回る作品の量は膨大なものとなります。
その内容をいちいち本編にまで目を通して把握することなんて、不可能に近い意味で難しいです。
ですが、「追放ざまぁ」は、「追放に対しざまぁする」だけの話なので、慣れれば小説情報からポイントの高い作品をピックアップしてタイトルとあらすじとタグを把握するだけで実績のある作品を語れました。
読む側は読む側で、相当手間を省けたんですね。
・平和で穏便な界隈活動ができた
そんな作品が市場で商品として売れるのか? 売れません。一冊読んで呆れられ、数冊読んで飽きられます。
ですが界隈活動に関してそれは、書籍化されても周囲の嫉妬を買いにくいことに繋がりました。
また、緻密に作り込まれた壮大な作品は、読む側の読んだ量や読解力でのマウントの取り合いの火種になりました。
ですが、「追放に対しざまぁするだけの話」は極めてシンプルで、題になった話はタイトルとあらすじに目を通すだけで履修できたのでそのような問題に繋がりにくかったです。
なぜ追放ざまぁは廃れたか
ラノベ界隈にはそのように有り難かった「追放ざまぁ」ですが、そこまで皆が手を抜いた皺寄せは一般市場の打撃となりました。以下ではそれについてです。
・投稿サイトの実績を鵜呑みにしても、上げ底弁当の金太郎飴ばかりが世に出回った
これがweb小説なら、どうせほぼ味見しかされないわけですから上げ底弁当でも全然問題無かったわけですよ。弁当の見た目をしていて食べた部分が美味しければ高評価に繋がりました。
ところがお客さんが身銭を切って一冊まるごと読む前提で買う市場では、序盤で迎えるクライマックス以降はただ尺を稼いだだけの商品は、詐欺まがいの印象すら持たれてしまったわけですね。
また内容も、「似たりよったりの金太郎飴」です。気に入ってもらえた人にも、せいぜい数冊読んだ程度でジャンル自体が飽きられたでしょう。
・今の時代に身銭を切って本を買う人は、じっくりと読む前提で買う
今の時代、暇つぶしなんてネットの無料コンテンツだけで事足りてしまうわけですよ。おじさんは暇つぶしのためにコンビニで雑誌買ってた時代が懐かしいです。
ならなぜネットで無料で読める物をわざわざ身銭を切って買うのかですが、「自宅でじっくり腰を据えて読みたくなったかネットでじっくり楽しませてもらった感謝の気持ちでお布施をした」からでしょうね。
逆説的に言いますと、それくらいの価値を感じてもらえないと商品として成り立たないわけです。
このように、「書籍化しても売れないことを出版する側が学習した」から回りまわってジャンル自体が廃れる形になったんですね。SAOや転スラやリゼロが投稿サイトで内容の面白さで数字を稼いでいた時代の終焉に、出版社側が気付いてしまいました。
今後のラノベ市場
言うなれば、「本来省いてはならない手間を省くことのできた供給する側にとってのいい時代」は終わってしまったものと見なすしかないでしょう。
出版社側は内容を手間かけて精査したのち書籍化し、書く側は内容を精査される前提で書かねば初版の印税すら見込めない、厳しいながらも健全な市場となってしまったことは受け入れざるを得ないと思います。
それでも、かつての流れを続けていればまず間違いなく産業自体の終焉は免れなかったでしょうし、そうならなかっただけでもヨシとすべきではないでしょうか。
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