Z世代ウケを狙っても絶対にZ世代にはウケない

 noteの皆様お久しぶりです、こむてくです。書き手界隈では、いわゆる「創作論」の類は行動が伴わないといまひとつ相手にされない傾向があるようですね。
 なおかつ、商業化を目指すことが暗黙のなかで大前提である印象も受けます。ある作品を出版社から書籍販売していただけた作家さんからは言われましたよ、「プロとして仕事で書く立場になれば嫌々でも生活のために書き続けるでしょ」と。

 それが嫌だから商売で書く道は一切考えてないんですよ、書きたい内容を好きに書いて飽きたらスッパリとやめてしまって他の趣味に移りたいですから。 

 話は変わりますが、「アマチュアの創作論に聞く耳を持つ価値は無い」との声も目にします。
 ある意味正しいことですがね、本気で商業化を目指すならプロの作家さん達の話にのみ耳を傾けるべきです。いつか語る側にまわることを夢見ながら限界まで背伸びを続ける、上昇志向とはそのようなものです。

 それでもです。著者はこう思いますね。

「ニーズの有無って、書く権限の有無に関係あるわけですか」

 と、です。書きたいもの書いて、それでも目を通していただけたときは喜んで、この記事も正直そのような姿勢で書いています。

 このようなときは明確に断りを入れたほうがいいですかね。「これは特にこれといった実績の無い素人の書いた記事です、真に受けるかどうかは自己判断自己責任でお願いします」と。 

 Z世代ウケを狙ってもZ世代には絶対にウケない

 前置きが長くなり申し訳ありませんでした、どうしても言葉に出さずにはいられませんでした。さて、本題に移ります。

「Z世代ウケを狙ってもZ世代には絶対にウケない」

 これ、実は半年くらい前からずっと思っていたことです。ここで申しますZ世代とは、「創作物の内容を楽しむことよりも効率よく知見を得ることを重視する人たち」のことを指します。
 動画でしたら倍速視聴、書物でしたらあらすじネタバレのみチェックし「本棚のオブジェとして気に入った」ものは購入して積み本、という接しかたをする人たちです。

 Z世代とスマートフォン

 そのような需要があえて「Z世代」と、世代で呼ばれる理由は、おそらくはスマホの普及でしょうね。
 スマホ、便利ですよね。書けない漢字もスマホに入力すれば画面に正解が表示され、知識の穴はグーグル先生が補ってくれて、出先では地図も時刻表も簡単に見れてしまいます。
 慣れ過ぎると、部屋を出る際に鍵を失くしたときでさえついうっかり鍵の置き場所をスマホで調べて探そうとしてしまったり(笑)。

 スマートフォンと思春期

 もしそんなものが記憶力が良く多感な思春期にあったら著者ならどうしていただろうかと言いますと、「作業を能率化することで膨大な量のトレンドの情報をいち早く少しでも多く取り入れようと」したでしょうね。Z世代の方々と同じく。

 と、申しますのも著者が中高生の頃テレビで歌番組を見ていた理由はヒットチャートを確認するのが目的でした。

 ドラマも漫画も内容を知るためにわざわざリアルタイムで観ていました。趣味趣向関係無しに、いまの世の中ならスマホで数分で把握できる情報を得るためにわざわざそれだけの時間と労力を費やしていました。正直、手間でした。

 Z世代に対しまして、思春期をスマホありきで過ごしていることに羨ましさを感じることもある反面、不憫である点もまたあります。

 と、言いますのもです。それだけの手間をかけたからこそ、そのひとつひとつに「感想」を持てたんですね。手間が億劫であった形で自分の好みには合わなかったんだなと、逆に億劫ではなく次を待ち望んだものが好みに合うものなんだと、自分自身の趣味趣向がよくわかりました。

 その果てに流行を追いかけることが億劫になってしまったことは「老化」かもしれませんが、否が応でも感想を持つことで自分自身の好みや興味の解像度が上がったことは著者は「成長」であると断言できます。

 知識の習得があまりにも便利になり過ぎたせいで自己分析が難しくなってしまってはいないかは、Y世代である著者は心配です。

 Z世代に購入していただける商品

 ですが、その是非はこの記事では扱いません。本題は、「Z世代には何がウケるのか」です。

 結論から申しますと、

「巷でウケたものを履修したくなる」

のがZ世代ではないでしょうか。

 繰り返しますが、Z世代は自らが楽しむことは度外視で他人が何を楽しんでいるのかを知りたがるんです。著者は、彼らにとって娯楽とは知見を脳という本棚に積み本するコレクションなのだろうと考察しています。

 ですから、実は創作界隈でたびたび話題に上がる、「Z世代向けの作品とはどのようなものなのか」の議論は実はすること自体がナンセンスなのではないでしょうか。
 彼らは自分たちにとって面白かろうがつまらなかろうが「巷で面白いとされて」いれば履修するんです。財布の紐を緩めるんです。部屋の棚やスマホのメモリや脳内に収集しようとするんです。

 その考え方を基にしますと、いくらZ世代自体に好まれる内容であっても、巷でウケていなければ意味がありません。

 いくら知見を得やすくしようと頑張っても、巷でウケていなければ履修してもらえません。

 彼らにとって重要なのは、主観よりも客観です。主観的に面白いと思うものよりも、客観的に面白いと思うべきものに食いつきます。

 

 Z世代はインフルエンサーが推奨すれば買う

 では、客観的に面白いと思うべきものとは何なのか。いまの世の中でそれに値するものは、「インフルエンサーが声を大にして拡散するもの」でしょうね。
 客観的に見て面白いと思うべきものとなるためには、誰かに面白いという声を上げてもらわなければなりません。その声は、影響力のある人間のものでなければなりません。

 そして、Z世代の集団のなかにも、いわゆる「目利き」は居ることでしょう。「目利き」たちが影響を受けるべき人間を見抜き、その声を周囲に広めることでZ世代にウケるわけです。

 創作界隈でもそうではないですか。自らの著作物の書籍化に成功した「書籍化作家」さんの意見であれば興味を持ちますよね。アマチュアたる自分自身なんかの考えよりも実績のある書籍化作家さんの意見のほうが正しいに決まっている、そう思うのが人間です。
 ですから、Z世代のウケを狙うためには、Z世代自身に興味を持ってもらうことよりも、彼らが耳を傾けるインフルエンサーに一目置いてもらえる作品を作るべきであると著者は考えます。

 ですから、Z世代をターゲットに商売したい場合は、インフルエンサーが声を大にして拡散したくなる作品を書くことを著者は推奨します。

最後に

 余談を繰り返す話になりますが、著者は自身の著作物の書籍化は現在全く考えておりません。
 創作活動はあくまで飽きるまで続ける趣味として一過性のものと考えているからです。
 まだその時は来ていませんが、もし熱が冷めて別の趣味に興味を持った時が来たときはそちらに移ってしまいたいです。

 だいたいの記事がそうですが、この記事を書いた理由としましては、「自分自身の書きたいものを書くための正当化の口実」として売れる売れないの創作論を繰り広げている人たちを見ていてどうしても書いて発信したくなったからです。

 実績狙いありきで書きたいものを書くか、書きたいことありきでなるべく実績も確保しにかかるかって、実績狙いとは何なのか書きたいものは何なのかの整理が出来ていないとそもそもそれを考えることすらままならなくなるではないですか。


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