オタク論

 明けましておめでとうございます、こむてくです。2024年最初となるこの記事では、「オタク」について論述します。この「オタク」、ひとによって定義は様々であるかと思われます。書き手界隈でも、さんざんっぱら飛び交っている言葉です。
 以下は、その個人的見解であることをご了承頂けたらと思います。

 

「オタク」の語源

 ウィキペディアによりますと、名付け親は1983年にコラムニストの方とのことです。
 コミックマーケットに集う若者たちが互いを「おたく」と呼び合っている様子を揶揄して、「コミックマーケットに集まる若者たちのような人」を「おたく」と呼び始めたことが語源のようです。
 ですが以下本著では、そのような「自らの趣味に情熱的に傾倒し、その分野の造詣が深い方々」を「マニア」と定義します。

 

 この記事で定義する「マニア」

 ・自宅にガレージを構え、チューニングした車をサーキットで走らせる車好き

 ・CDやアナログ盤等様々な音源や選りすぐりの音響機器で埋め尽くされ環境の整えられた部屋で音楽を聴く音楽好き

 ・前述のコミケや声優の握手会等に足しげく通い、古今東西のアニメをその内容から背景まで幅広く網羅するアニメ好き

 著者は、以上を全て「マニア」に定義します。著者のなかで、趣味に優劣や貴賤は全く無い旨はご了承ください。

 この記事で定義する「オタク」

 ・他人との交流に乏しく、コミュニケーション能力が低い

 ・活動意欲に乏しく、それに付随して忍耐力や集中力が低い

 ・学校行事や経済活動等の社会活動に消極的であり、それに付随して社会性が低い

 以上のように、著者は、「オタク」と「社会不適合者」がほぼ同義語であると考えています。


 「マニア」は「趣味」が好き、「オタク」は「息抜き」が好き


 結論から言いますと、「一般人より情熱的に趣味に傾倒する人、一般人に趣味への情熱を足し算した人」が「マニア」で、「一般人より社会活動の消極的な人、一般人から社会性を引き算した人」が「オタク」であるとするのが個人的な定義です。
 ですから、「日々情熱を注いでいる趣味はあっても社会性の乏しさが伴わない人」も、「社会性は低いが、かといって趣味らしい趣味も持ってない人」もどちらも居ると考えています。

 マニアの「アニメ好き」は「人一倍アニメに熱心である」のに対し、オタクの「アニメ好き」は、「一切関心が無い社会活動に嫌々億劫になりながら参加する張り詰めた人生なんか死んでも嫌で、その大変さから逃げ回った結果持て余した暇を気が向いたらアニメで潰す人生」なんですね。

 オタク界隈でよく言われる「一般人は人生ときどきオタクやってる、オタクはオタクときどき人生やってる」はそもそもとして頓珍漢な話で、「オタクは終始人生の大変さから逃げ回って息抜きときどき暇つぶししてる」のほうが個人的には腑に落ちますね。


 「マニア」のなかには娯楽産業で生計を立てられている人がいるかもしれないが、「オタク」が娯楽産業で生計を立てきれる可能性は絶望的に低い

 アニメやマンガ等の創作やイベント会場の運営等を稼業とするいわゆる娯楽産業ですが、世知辛い話として一般的な職業と比較して「労働生産性が低い」です。
 考えれば自然な話ですよね。食べ物等の無ければ生きていけない生活必需品は誰しもに価値を認めてもらえる形で値段をつけられやすいですが、娯楽はそれが好きな人以外にとって無価値であり価値が上がりにくいです。

 つまり、「娯楽産業を生業とすると非効率的な労働生産性を仕事量で補わねばならず、より多くのエネルギーが必要となる」わけです。それが嫌であれば、生業にはせず人生の余暇のみで趣味を楽しみましょう。

 では、どのような人が娯楽産業を生業に出来るのか。ひとことで言えば「マニア」です。

 そもそもとして、「マニア」は人一倍エネルギッシュなんですね。趣味を充実させるためにその活動資金を稼いだり、学業や仕事のような人生の本分で疲れ果てた身体を奮い立たせて趣味を楽しんだりと、気合の入った生き方をしているのが「マニア」です。
 ですから、「マニア」は娯楽産業の「労働生産性の低さ」を「好き」の熱量で乗り越えられるわけです。むしろそうでなければ、娯楽産業に従事するなんてただの生き地獄です。どうせ「好き」でもないことを生業にするなら、日々の生活において誰しもの必需となる業界に携わったほうが生計の立てやすさのぶんだけマシですからね。

 一方、「オタク」の場合はどうなのか。結論から言いますと、「不可能に近い意味で厳しい」です。

 そう考える根拠としまして、「オタクがオタクやってる理由がいわゆる無気力無責任無感動人間であるから」なんです。
 前述の通り、オタクにとっての「趣味」とは「人生の大変さからの逃げ道」なんです。マニアと違って、「ごくありふれた人生では飽き足らず人一倍の情熱を持って趣味に取り組んでいる」わけではなく、「ごくありふれた大変さすら受け止めて乗り越えきれないから趣味に逃げる」気の抜けた生き方しか出来ないのが「オタク」なんです。


 「オタク」にいちばん適した生き方は、「生活保護受給者」


 ここまでお読みいただいた方は、「そんな情けない人に生きていく手段ってあるの」と思うかもしれません。確かに、もしこれが発展途上国であればなすすべもなく野垂れ死ぬでしょうね。

 ですが、我々が生を受けた国はGDP世界上位の経済大国日本です。たとえ自らの力で生計を立てられずとも、国や自治体が他人から巻き上げた税金で食べていけます

 この生活保護制度は、「もしあなたを無理に働かせたとしても、活躍は見込めず世の中の足手まといにしかならないでしょう。かといって見殺しにするわけにもいかないですから国や自治体に生活の面倒を見てもらって自宅で大人しくしていてください」という制度です。

 要するに、「生活能力が低ければ低いほど保護してもらえる確率が上がる」わけです。「オタク」はその申し子であると言い切れます。

 ただし、この生活保護制度にも適していない人がいます。「世の中のお荷物となるみじめさに耐えられない人、天寿を全うするまでの時間を丸ごと持て余してしまう空虚さと退屈さに耐えられない人、生活の全てを世の中に丸投げしてしまう不安感に耐えられない人」ですね。著者は全てに該当するため、この生き方は考えていないです。

 その点を加味しましてもです。「オタク」の皆さんに、どれかひとつでも当てはまるかと言えばそんなことは無いでしょう。「役立たず」と言われて「役に立つ義務からの開放感」に喜ぶのが「オタク」です。どれだけ暇を持て余そうと、そもそも気の向いたとき以外動かないのが「オタク」です。どんな問題の火種になろうと自責の念を感じないのがオタクです。

 デメリットがデメリットになると著者は思えません。

 

 総括


 いろいろと申し上げましたが、著者が定義する「オタク」が「オタク」のままで娯楽産業に従事するのは極めて難しいです。どうしても娯楽産業に従事したいのであれば、「マニア」もしくは「マニア相当のパフォーマンスを発揮する人」になることから始めてもらえたらなと著者は考えます

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