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死ぬ勇気も、生きる理由もない

こんにちは、かしぱんです。

一気に気温が上がり、いよいよ夏が近づいてきている気がしますね。

自傷行為の傷跡のせいで、半袖を着たくない自分にとっては、少し憂鬱です^^;




昨日『レゾンデートルの祈り』という楪一志さんが書いた本を読み終わりました。

こんなに苦しいのに、生きる意味ってなんだろう。
「あなたも、生きたくても生きられないのでしょうか」
2035年、神奈川県・江ノ島の<ラストリゾート>。
この場所で遠野眞白が出会う人は、誰もが「死にたい」と願っている。
安楽死が合法化された日本。
人命幇助者<アシスター>の眞白は、死に救いを求める人々と正面から向き合う。
暗闇の奥底に微かな「生きたい」があると信じ、希望の光を照らしたい。
もう二度と、あの日の後悔を繰り返さないために。

苦しくても、生きる理由を見つめ直す。
新鋭作家が紡ぎだす、切なくも温かい命の物語。

https://www.kadokawa.co.jp/product/302103001634/

正直、あまり読みごたえはなく、話の展開も浅いなと感じました。


その中で唯一共感できる言葉がありました。


「死にたいじゃないの、生きていたくないの」

めっちゃわかります。


「死にたい」って言うと多くの人はこういいます。


「生きたくても生きられない人もいるんだよ」と。



「じゃあ変わってくれたらいいのに」

「生きたくて生きてるわけじゃない」


いつもこう思っています。


死にたがりの自分なんかが生きる明日より、

生きたいと思う人が生きる明日のほうが、

きっと意味があることで。


前にも記事にしたように、自分の場合は死にたいでもないんだと思います。


この本はそういう人のために書かれた本なのかもしれません。


死ぬ勇気もないけど、生きる理由がない人。


実はたくさんいるのかもしれません。


もし、この物語のように、今この世界で安楽死が合法化されていたら、

自分は間違いなくこの制度を利用するでしょう。

利用しなかったら、結局選ぶのは自殺だと思うから。

生きる理由がないのに、生きていても何の意味もないから。

自分が生きていたって無駄だから。

自分が生きていたって迷惑だから。

未来に何の希望も見いだせないから。

生きる理由も、未来への目標もなく生きることって、苦しい気がします。




たくさん考えさせられました。


それでは。


追記:レゾンデートルという言葉の意味を調べてみました。

「レゾンデートル」とは「存在価値」「自分が信じている自分自身が生きる意味」という意味です。 他者との比較から生まれる存在価値ではなくて、あくまで自分のなかで完結するような存在価値のことを「レゾンデートル」と言います。

bzlog.net/how_to_use/a4265/

人からの評価を気にして生きている自分にとって、
「自分が信じている自分自身が生きる意味」というのはすごく心に響きました。

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