#252 逃げている?チャレンジ?
こんばんは フミオです。
月並みですが、ゴールデンウイーク約10連休をどのように楽しもうか、計画されていますか?私は、4月から働き方を変えたので、働きた日=仕事というところです。
さて、#250の後日談をnoteします。
この後の直後に、その仲間の一人の方と久しぶりに仕事の現場で会う時間があり、ご飯会時に私の気持ちにひっかたことを話をしたくだりを書いてみたいと思います。
■「辞めた理由を聴いていない」の一言がささる
約1時間程度の関係者会議の終了後、時間も就業ちかくのこともあり、会議の内容の振返りを聴きながら、ご飯会の際に、その方より、「辞めた理由を聴いてにいない」と問いをもらったことについて話をしました。
なぜ、改めて話をしたのか?
私は、仕事を辞めるにあたり、この方のところに訪問して仕事を辞めることとお世話になったことを挨拶に伺って伝えていたつもりでいました。
私は、しっかり言葉で伝えていないんでしょうね。
ご飯会の中で問われた「辞める理由を聴いていない」の一言がズーっとモヤモヤしたのです。そして、4月中の悩みにもなっていたのかな?と重なりました。
■改めて、自分の気持ちを振り返る
辞めるきっかけは、コロナ対応で疲れていた時に、事業を経営する立場から「コロナの現場で働くスタッフも、それ以外で働くスタッフも大変さは同じ」ということで感情的になったり「もう働きたくない」となり、そんな気持ちからの行動でした。
コロナが2類の期間中から現在に至るまで、自宅で妻がコロナになっても感染しない。事業所でも始めてのクラスターから数回経験し、その都度コロナの現場に入って介護をしました。幸い一度もコロナに感染しなかった私だったのです。
しかし、クラスターやその他の状況下で職員が現場から感染で離れ不足してケアレベルを下げて利用者の対応することの繰り返しは倒れられない覚悟で向き合っていたので張り詰めていた気持ちが、もいいいやとなったのもありました。
■50歳になったことから働き方を考えていた
60歳を前に、これからの自分を考えていたこと。 私は、障害者の施設で働きてきた期間もあり、その時の職場への不満もあり介護保険業界へ転職をしました。「介護支援専門員」という職と介護保険を知りたかったこともあり。
転職後、50歳になったころから60歳定年前に違うこと経験したいと思っていました。理由は、障害者、高齢者と経験して障害・介護・医療と経験できてこの福祉というか、介護・医療のカバーする広さと多問題化の傾向から
他の分野、異なる経験をしたいと考えていました。
しかし、そんな私のタイミングに、医療・介護制度の転換点と私自身、利用者の在宅生活と在宅復帰に取り組みを開始と、コロナの時期も重なり現在に至ってしまい今で仕事をしてきて、止まって振り返る時間と職場への気持ちを考えた。
■定年後も職場で働くイメージができなかった
熱意や覚悟が弱くなり、職場にしがみつき「フミオさんも、歳を取ったね」と見られたくない。私の考え方が老いとともに頑張れなくなり、逃げたりする姿も私自身苦しみたくもなく、他の職員から意見できないような困った老いた職員でいたくなかった。
また、職場のコロナ後の職場で、私が頑張れなくない(職場のやりがいと先行き、したいこともできない)ことも感じていました。逃げ出したんでしょうね。
私の振り返りが長くなってしまいました。この「逃げたのかもしれない」という気持ちは言葉にして、改めて、その仲間に言葉にしてみました。
どこかスッキリもした気持ちになりました。しかし、「逃げだした」というばかりでもないと思う気持ちにも改めて気づくこともありました。辞めずに仕事をしていたとしても、私の満足ができる時間になったか?と考えたときに疑問符はついたとも思います。間違ってもいないことにも気づく。
そして、仲間からは、一度離れてみること、離れて見直すこともいいかもしれない。と言葉をもらいました。
■今日のnote
問われたことで、ハッキリ言葉にして口から出して伝えたことで前向きになったことと、やりたいことがちょっとハッキリした気分になっています。
職場の肩書でなく、私個人でできることをしていきたい気持ちでいることに。
あとは、行動あるのみ・・・。辞めたことで自分の老後をしっかり考えるようになったと感じています。
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