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「森」がお墓になる。だから儲かる。

墓の「選択肢」が少ない国、日本

フリーランスのコピーライターはどうしても金が無いので兼業になりがちだ。あの手この手でニッチなビジネスができないかと考えてしまう。この手の【いつでも成れる仕事】をしている人は独立心が強い、どうにか社会システムに隷属できないのだろうか。

寺とつるんで森に散骨するビジネスをやっているのが小池友紀(こいけ・ゆき)さんだった。今時は寺も儲からなくなったのだろう。世界の半分は斬るスト教によって欧米文化を植え付けられた。彼らキリスト教徒は他国文化を破壊して植民地にする。一方で漢民族国家であるチャイニーズ・コミュニスト・パーティは根こそぎ奪う。どちらも甲乙つけがたい。

こうして仏教に、キリスト教がもたらした資本主義が組み込まれて今日の日本が存在するわけですが、この”森に散骨してお参りさせるシステム”がどこまで定着するのかを見ておきたい。これが最近のSDGsなのだとか。

ビジネスとSDGsを結び付ける必要はないはずだ。生存可能性を進んで下げるような真似はしないほうがいいと思っています。考え方は理解できるが、金儲けが絡んでくると話が変わってくる。

資源循環のサイクルは非常に時間がかかる場合が多い。資源にエネルギーが蓄えられている場合は特に、そのエネルギー量と同一程度になるまで100万年かかると考えられている。
”消費サイクル”は人間というエネルギーリソースが存在しているので短期間で素早い消費が可能になる。その反面、蓄積サイクルは人間が手を加えても微増しかしないので、二つのサイクルは全く噛み合っていない。

消費サイクルは世界総人口に比例して加速する。私たちは互いを尊重し合うことはできないので、いつも利己的だ。暴力しか解決手段がない。

資源の蓄積は地球という大きなバイオームの中で行われるプロセスであり、劇的な変化を必要とする。このプロセスは、最終的には崩壊に向かう。現在の気温上昇と太陽への接近が進み人間が存在できなくなるまで、あと100万年はかからないだろう。なので、どこの国も資源確保に必死だ。あるうちに盗る、が盗人の鉄則なのだから(こういった穿った視点を持っていると変人に思われる)

墓は必要だろうか?私は家族が、もしも看取ってもらえるなら、納得のいくやり方で私を記憶に留めてもらえればそれでいいと思っている。武勲もないし誰かに誇れるような生き方もしていないので、そもそも宗教のシステムに組み込まれたくないので、骨粉にして宇宙に打ち上げてほしい。地球は50億年後には確実に太陽に飲み込まれて消える運命なので、あわよくば別の惑星に到達してみたい。

SDGsを学ぶ人に知っておいてほしいのは、人間が消費するのは自然なことでありそれを権利として売買している国は異常だということ。私たちは恐らく滅びるべくして滅ぶ。そういった生命の循環に抗うことが生存本能であり、SDGsの本質は生存することである。金儲けは手段であり、ビジネスは社会的権力の下に隷属するための手法だ。先進国においては資本主義から逃げることは誰もできない。

ピラミッドの最下層に住みたくない人が、なんとか社会的地位を獲得するためにもがく、それがビジネスだった。少なくとも10世紀頃には形作られてしまっていた。墓も資本主義にとっては金儲けの手段になっている。人間はこれほどまでに欲深く、多くを欲しがる生き物なので明日滅んでも仕方がない

ビジネスの中には利権が必ず存在する。

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