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映画『君の誕生日』 無自覚のうちに忘れてしまっていること

2014年4月16日 セウォル号沈没事故
修学旅行中の300人以上の高校生が犠牲になった、
衝撃的な事故が韓国で起きたことは朧げに覚えている。

この映画はその事故から2年後を舞台に、
事故で息子を亡くした家族が、彼不在で迎える初めての誕生日会までの話を描く。

息子のスホがいなくなった現実を受け止めきれない母スンヨン。
海外から帰国できず、事故の時に駆けつけることもできなかった後ろめたさを抱える父ジョンイル。
妹のイェウンもまた、兄が亡くなった「海」への恐怖が残る。

事故から2年、世間の目はだんだんと寛容ではなくなってくる。身近な人を失くしていないその他大勢の人たちにとっては、セウォル号事件のことは同情こそすれど、過去のことになりつつある。
時にその特別な待遇が批判の的にさえなる。

けれど、残された人たちが負った深い傷は、時が解決してくれるような生易しいものではない。
国からの補償金はいらない。
ただ記憶として、形として彼らがいた証を残してほしい。
家族は、友人は、そして亡くなった子供たちは、2014年4月16日に取り残され続けている。

「スホもきっとやってくる」
その思いで迎えた、彼のいない誕生日会。
みんなの中に、スホは生きている。
彼がいた記憶を共有し、悲しみを分かち合うことが前を向く一歩となる。彼のことを決して忘れない人たちがたくさんいること、それを確かめられたとき、家族は現実を受け止める。

身近でなければ、忘れてしまうこともある。
セウォル号の事故は、海外のことでもあって、ことさら遠い。

でも日本で起きたことだったらどうだろう。
東日本大震災では日本中が悲しみに包まれた。一方で10年がたった今、被災地の人たちが抱える苦悩や困難に思いを馳せることが少なくなって久しい。この映画を見て、そんな自分に少し罪悪感を感じた。

出来事そのものを忘れることはないだろう。毎年その日にはニュースが流れるし、ふとした瞬間にあれから何年かと思い出すときもある。
でも同時に、その出来事で身近な人を失くした人たちが、今を暮らすためにさまざまに悲しみを乗り越えようとしてきたことも覚えておかなければと思う。亡くなった人たちを、何とかして記憶や記録にとどめようとしていることも。もしかすると未だ悲しみを乗り越えられていないことも。

想像もできないし、安易に理解なんてできるものでもない。
ただ、知っておくこと、覚えておくことはできる。
何ができるわけでもないけれど、痛みを乗り越えて、あるいは乗り越えながら生きている人たちがいると思い出すことはできる。
そんな人たちがいることを、忘れないでねと、言われている気がした。

この映画を見た1か月後は、東日本大震災から10年。
テレビでたくさんの特集が組まれていた。
あの日に残されている人たちがまだたくさんいることを
改めて思い知った。

この映画を見た後の、自分のなかの罪悪感がまた頭をかすめた。
きっと、来年も、再来年も、思い出すだろう。
「忘れないで」と言われている気がした。

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