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(14)今年も「シネマ・ポスト・ユーゴ」

[2014/8/15]

  旧ユーゴ地域の映画上映会「シネマ・ポスト・ユーゴ2014」を、今年(2014)東京大学文学部現代文芸論研究室に共催していただき、会場を東京大学本郷キャンパスに替えて、4作品を上映した。(詳細はこちら)

セルビアの同性愛者の権利問題

 『パレード(Parade/Parada,)』(2011、詳細はこちら)は、セルビアで初めて行われたゲイ・プライド・パレードをめぐる喜劇である。2001年にセルビアの首都ベオグラードで開催されたパレードには約40名参加したが、右翼やネオナチに攻撃されて以降中止が続いたという事実を背景にしたものである。本作の解説をした亀田真澄氏(東京大学)によれば、その後2010年には約1000人がパレードに参加したが、それに反対する側のデモの参加者が7000人、警備の警官が6500人動員された。パレード参加者側で174名、警官側で20人の負傷者が出たが、死者は一人も出さなかったという。同性愛者の権利表明のパレードの警備側やパレードに反対する人たちのほうが圧倒的に多いわけだが、自分と違うものを認めようと考える人々は、確実に増えている。次はいつ開催されるのか注目されながら、2014年は洪水のため残念ながら中止になった。

 私は本作を、昨年(2013)、ニューヨーク近代美術館(MOMA)で毎年開催される第三世界の映画を紹介する「グローバル・レンズ」という特集で見た。社会の少数派の人たちが日常生活で直面する差別の問題について、ユーモアをもって描いていることに感銘を受けた。スルジャン・ドラゴエヴィチ監督(1963年ベオグラード生れ)は戦争に対する風刺『美しい村、美しい炎(Pretty Village, Pretty Flame/Lepa Sela Lepo Gore)』(96)で注目された。私は同じ監督のバルカン紛争後のベオグラードの人々の心身の荒廃を描いた『傷(The wounds /Rane)』(98)を、ニューヨークの映画祭で見て衝撃を受けた。
 『パレード』の主人公の男レモンは、マッチョの権化のような元兵士。社会的弱者に対する差別意識丸出しで、非合法活動で商売をしているらしい。自分の結婚式で新婦がどうしても雇いたいというゲイのデザイナー、ミルコ。そのパートナーのラドミロは獣医で、レモンの大切にしている犬の命を助けてくれたので、レモンは彼らからゲイ・プライド・パレードの護衛 を頼まれて断れなくなる。自分が主宰する武術教室の弟子は「ゲイなんて」とそっぽを向き、皆去っていく。困り果てたレモンはかつての内戦では敵でありながら、その後友人になったクロアチア人、ボスニア人、コソボのアルバニア人などを駆り集める。映画の最初に字幕で「セルビア人はチェトニック(第二次世界大戦中のセルビア将兵による反ナチス・ドイツ抵抗組織で、チトー率いるパルチザン組織やクロアチア民族主義者たちと敵対した)という呼び名で周囲の民族から嫌われている、クロアチア人はウスタシャ(クロアチアの反セルビア主義軍事集団で第二次世界大戦中にナチス・ドイツ側についた)という呼び名で......」と順番に各民族の蔑称が紹介された後、「ゲイはすべての民族から嫌われている」と出てくるところから、この映画は笑わせながらチクリと問題意識を提出している。
 観客は、旧ユーゴの各民族やゲイに対する紋切型の差別表現に笑いながらも、多様性を認め自分とは違う考え方に対してどう寛容性を持ったら良いのかを考えさせられる映画であった。しかし小指を立ててグラスを持ったり、身体をくねくねさせるゲイの仕草など、ステレオタイプ的な演技表現が気になった。

 私の周囲にいるニューヨークのゲイの人たちにはそんな仕草をする人は一人もいないし、自分はゲイだと言われなければわからない人もたくさんいて、それはそれで「だからどうなの?」という世界なのだ。
 1960年代のアメリカ南部の黒人差別反対の市民権運動に白人の人たちが参加したように、ゲイ・プライド・パレートにはゲイでない人も性的少数者の権利擁護のために参加し、ニューヨーク市長がそれに参加するかどうかがニュースになったのはもう大分前のことのように思える。また今では、毎年3月に開催されるアイルランド系移民を中心とするカトリックの人たちが開催する聖パトリック・デイのパレードにゲイやレスビアンの代表を参加させるかどうかでもめていて、市長は彼らを参加させないパレードには参加しないことで差別反対を表明している。自分と違う者たちを排除しないという社会を作るためには、政治家が自ら多様性を認める価値観を表明しなければならないのだ。
 レモンがアクション映画として好んで見る「ベン・ハー」(59)のチャールトン・ヘストンとスティーブン・ボイドの再会シーンは、ハリウッド映画における秘されたゲイ・エロチシズム表現(ウイリアム・ワイラー監督はこの場面を明らかに恋人同士の再会としてボイドを演出したが、ヘストンには恐れをなしてそれを告げなかったいわれている。結果として多くが認めるエロチックなシーンとなった)の代表例として有名なのだが、ゲイを毛嫌いしていたレモンがそれを全く知らずに愛好していたというのも笑わせる。また、レモンから離れていった息子はネオ・ナチ集団に入り、父親からの和解を拒否して、ゲイ・プライド・パレードの護衛隊を襲うグループに参加するが、父親への愛情を取り戻して父を守ろうとする。こんな父子の普遍的問題も映画の中に挿入している。
 上映後の観客との討論で、レモンが各地から助太刀を集めるのは黒澤明監督の『七人の侍』(54)を思わせるという感想があったが、ドラゴエヴィチ監督は相当な映画ファンと思われる。

マケドニア映画に見る戦乱と混乱

 マケドニアの『バルカンカン(Bal-Can-Can)』(2005、詳細はこちら)のダルコ・ミトレスキ監督も過去の作品へのオマージュが多い。本作は1971年マケドニアの首都スコピエ生まれのミトレスキ監督の長編第二作目。テンポが速く猥雑なエネルギーに満ちたカンカン踊りとバルカンを組み合わせた題名のこの映画は、「バルカン狂詩曲」とでもいえる悲喜劇である。

 中東戦争が勃発した日に生まれた主人公のトラドフィルは、小学校入学など人生の節目がさまざまな戦争の開始と一致するという数奇な人生にみまわれ、しかもバルカンの戦乱の増加とともにその間隔が加速度的に短くなって来たというところでまず笑わせる。彼は気の小さい小市民で、極彩色の制服を着て兵役募集に来た義理の兄ジャンゴから逃れ、妻と妻の母を連れてバルカン中を旅するロード・ムービーでもある。
 『パレード』と同様に旧ユーゴのさまざまな共和国へ主人公が赴くのは解体以前のユーゴ時代に対するノスタルジーだろうかと、ボスニア出身で同じく上映された『雪』の解説をした岡島アルマ氏(外務省研修所)が語っていた。
 まず国境を越えてブルガリアへ行った3人は、車が故障した果てに妻の母の突然死に見舞われる。警官も医師も墓場の役人も死亡証明書や埋葬許可書を出してくれないので、トラドフィルは道端で売られていた安い絨毯を買い、義母の死体をそれで包んでマケドニアに持ち帰り埋葬しようとする。ところが、国境近くで絨毯ごと盗まれてしまい、義母の死体を取り戻すべく、バルカンの非合法組織を次から次へと渡り歩くことになる。
 それに力を貸すのが、父親どうしが親友で義兄弟となっていたマケドニア系イタリア人のサンテイノ。この2人は言葉が通じないまま、運命をともにすることになる。ギリシャの密輸業者のところへ行くと、モンテネグロの麻薬売買のグループへ連れていかれ、山頂での銃撃戦を危うく逃れてベオグラードのギャングのボスを訪ねると、こんどはボスニアへ行くように言われる。ボスニアではクロアチア系とムスリムの2家族が対立をしているが、彼らは外国人のサンテイノとトラドフィルを国連から派遣された監視団員と誤解して、銃撃戦を休止して宴会を開き2人を丁重にもてなす。その祝いの席でもまたすぐに2家族の戦いの場と化すのが戯画的だが、人間の対立など実際にはこのようにほとんど理由なく始まり拡大していくのかもしれないと思わせる。
 このあたりから映画のトーンが次第に深刻になってくる。2人は盗まれた絨毯を求めてコソボへ行き、子供の臓器密売組織に巻き込まれる。組織を牛耳る冷酷なギャングの首領は、運命のいたずらか、トラドフィルとサンテイノの父親たちのかつての敵であった。クライマックスは、小心者のトラドフィルが『ランボー』さながら銃を取って戦うシーンだ。トラドフィルは最後には組織に拉致されていた子供たちを引き取る。
 コソボのギャングの首領の名前、シェフケット・ラマダニはバルカンで人気のボスニアのロック・グループの“ザブラニエゴ・プシェニエ(「禁煙」という意味)”というバンドの持ち歌の歌詞から取られた名前だそうだが、私はこのバンドがエミール・クストリツア監督と一緒に2001年のベルリン映画祭のイベントで演奏しているのを聴いた。

 またトラドフィルはチューリップ、妻の名前ルージャは薔薇、妻の母の名前ズンブラはヒアシンスというように花の名前ばかりが出てくるので、ブルガリアの警官が「まさか」という顔をするなど、現地の人たちにしかわからないジョークが多い。しかし「戦乱の中でしぶとく生きる小市民たち」という普遍的テーマは十分に伝わってくる。
 映画の最後に「ビリー・ワイルダーに捧げる」と献辞がでてきて、私はこの意味を考えた。ハリウッド全盛期のウエルメイド・コメデイで知られるワイルダー監督であるが、代表作の一つ『サンセット大通り』(50)では、プールに浮かぶ死体のイメージから始まり、ウイリアム・ホールデン演ずるその死体であるライターの語りがナレーションとなり物語が回想されていく。同様に『バルカンカン』でも、バルカンの死体置き場に運ばれたサンテイノの死体が、さまざまな言語で喋る死体たちと話を始め、彼の父の時代からの回想を始めるのである。ほかにも『カサブランカ』『汚れた顔の天使』などさまざまなハリウッド映画からの引用を折々にサンテイノが暗誦するのが可笑しい。
 本作は、マケドニアの興行成績を塗り替えるヒットとなったそうだが、日本でもアート系映画館で商業映画として上映できる娯楽性と社会性を持っている。
 上映後は、日本大学で映画学の博士号を取得したマケドニアのアンドリヤナ・ツヴェトコヴィチ氏と、映画の製作者のロバート・ナスコフ氏にスカイプでマケドニアのスコピエから討論に参加していただいた。ミトレフスキ監督はロサンゼルス在ということでスカイプには参加できなかったが、ツヴェトコヴィチ氏は30代の若さで今秋新たに開設される在日マケドニア大使館に大使として赴任予定である。
 学生からこの映画は喜劇として始まるが次第に悲劇となるという指摘があった。ツヴェトコヴィチ氏は、マケドニアの歴史は他民族支配の連続で、人々は自分たちにふりかかる悲劇をジョークとしてしまうのが生きる知恵となっていると述べ、人身売買や臓器密売はバルカン紛争中に深刻な問題であったことにも言及した。この映画を作ったきっかけを聞かれてナスコフ氏は、絨毯にくるまれた老女の死体が行方不明になったという話と、コソボでの臓器密売の話を監督が新聞記事で読み、この二つの実話を組み合わせてストーリーを作ったと語った。映画作りで困難な点は、撮影のための移動が多かったことだそうだ。
 この作品に何かマケドニア的と言えるものがあるのかという東京大学の沼野充義先生からの質問に考え込んだナスコフ氏は、映画の中で使われているキリル・ジャイコフスキの音楽がマケドニアの地方性を表したものではないかと思うと答えた。ジャイコフスキはかなり有名な音楽家のようである。

ボスニアの女たち

 『雪(Snow/Snijeg)』(2008、詳細はこちら)については、私の当コラム(3)で詳細に述べたが、今回上映することができて多くの方々に見ていただけたのは良かった。

 上映後の討論では、曜日の字幕がしばしば画面に出てくるのはなぜかという質問が観客からあった。映画の解説をした岡島アルマ氏は、翌週の水曜日に訪れる約束をしたトラックの運転手をヒロインのアルマが毎日待つ気持ちの表現だろうと答えたが、場面転換で画面が暗くなり、「土曜日」、再び同じように「日曜日」......と出てくるのは余韻の残るよい映画的処理だ。
 なぜ村の少年の髪があっという間にのびてしまうのかという質問に、私は以前書いたように、この少年は髪が長かったので少女と思われて、ほかの少年が連れ去られたのにかかわらず一人だけ命拾いした体験から、恐怖に直面するとその追体験で髪が一瞬にのびてしまうとある映画祭で監督が語っていたことを紹介した。しかし、その場にいた在日ボスニア・ヘルツエゴヴィナ大使館のアネサ・クンドロヴィチ大使は、そうではなく恐怖を前にした身体が起こす特殊な化学反応だと断言された。ついでながら、このクンドロヴィチ大使も30代の若き女性である。またスロヴェニアもクロアチアの在日大使も女性で、最近までセルビアやポーランドも女性大使であった。
 “雪”という題名の意味を問う質問も出た。私がニューヨークの上映で見た映画では、「雪は丘を被うためではなく、獣の足跡を消すために降る」というボスニアの格言が出てきたのだが、今回の上映に使用したDVD版にはなぜかそれがなかった。今回再度この映画を見て、“雪”はボスニアの戦乱の中の女たちの心身の傷を残すだけでなく、それを消すという意味もあると認識した。
 討論で、アンジェリーナ・ジョリー監督によるハリウッド映画『血と蜂蜜の地で』(邦題『最愛の大地』)の話も出たが、殺戮や女性に対する暴行のイメージが繰り返されるこの映画と比較して、『雪』では暴行も殺人現場も見せない。愛する者の死体を前にした女たちの表情も見せないのである。
 “青い洞窟”に村の男たちの死体があると、村の土地を買い占めに来た外国人の世話をしているセルビア人の男から聞いた女たちが洞窟に向かう場面は興味深い。幼い息子二人を目の前から連れ去られた母親が、洞窟を歩いていて力が抜けて足が止まってしまい、周囲の女たちがそれをかばう。次の場面は、綿毛のようなものが舞っているイメージである。画面が暗くなり新たな曜日になり、次のシーンは村に作られた30ほどの墓石を見下ろす景色で、子供たちが近くでサッカーをして遊んでいる。そこへトラックの運転手が村に到着する。彼は映画の冒頭、道端で手作りのジャムや酢漬けキャベツを売っていたヒロインのアルマを助け、村まで送る途中アルマと視線を交わし、来週戻って来て仕事を手伝うと約束したのだ。彼の到来を密かに待つ未亡人のアルマを、同居する夫の母は厳しい目で監視する。しかし土地買占めの外国人の前で義母は、家内工業を守り土地を売ることを拒否するアルマの人生の選択を全面的に支持すると宣言する。そこには当然、アルマの恋容認も含まれているのだ。
 約束の日に来ることができず、一時はアルマを失望させたトラック運転手だが、その彼の到来で、この映画は終わる。アルマとの喜びの再会の瞬間も見せない慎ましさだが、観客は彼女の胸の高まりを容易に想像することができる。
 この最後の場面では、さまざまなことが静かに表現されている。村の女たちは待ちわびていた夫や息子たちがもう帰らないことを悟り、新たな人生のページに踏み出す。村は子供という新しい世代に希望を託す。そしてアルマの新たな恋への予感。しかもそれを応援する義母。彼女と義母の世代の女の連帯も描かれているのだ。アルマが守るジャム製造など家内工業の成功は亡き夫の夢でもあり、夫亡き後の2世代の女性がその夢の実現に協力する。
 私は再度、この映画の静寂な中にあるパワフルなメッセージをかみしめた。

スロヴェニアのロマ

 『シャンハイ(Shanghai Gypsy/Sanghaj)』(2012、詳細はこちら) はロマの四代に渡る家族を描くスロヴェニアのフェリ・ラインシュチェクのベストセラーの原作の映画化。

マルコ・ナベルシュニク監督は1973年生まれで、スロヴェニア第二の都市マリボールの出身。原作者、監督ともスロヴェニア人で、少数民族であるロマを外側から描いたものだ。作品の解説をしたミリヤム・チュク氏(リュブリャナ大学)によれば、出演者はバルカン各地から選ばれ、ロマ語を勉強したというから、実際にはロマではないようだ。主役のベルモンドを演じるマケドニア出身のヴィサル・ヴィシュカ、その父ウヤシュを演じたセナド・バシッチはボスニア出身で、二人とも魅力的である。ベルモンドの妻アマンダを演じたアスリ・バイラムはトルコ生まれで幼少のとき家族とともにドイツに移住し、トルコ系として初めてミス・ドイツに選ばれたというだけあり、目を奪われる美しさである。
 食料、衣料、家庭用品などをイタリアから密輸していた父の後を継いだベルモンドは、イタリアのバーで歌っていたアルマとの結婚を機に、スロヴェニアの国有地に村を建設する。父にイタリアで見せてもらった上海の写真に感化されて、その村はシャンハイと名づけられた理想郷である。ほかのロマの家族も移って来る。見回りに来たスロヴェニアの警察署長とベルモンドは、賄賂を介せずに友情を結ぶ。理想郷とはいえ、ベルモンドは自分以外の住人に平屋建ての家しか許可せず、収入の三分の一を村に収める事を強要し、独裁者としての側面を見せる。
 バルカン紛争の深刻化とともに、戦争のお蔭ですぐに金になる武器の密輸に関わったベルモンドは、闇組織と組む事を拒否したため村は爆破されて崩壊、その上ベルモンドは服役する。息子は、音楽の道を選ぶことを認めないベルモンドに反発し、グレて麻薬中毒になる。ベルモンドは釈放後に息子と和解し、息子の結婚式では一族と友人が集う。2人の男から求愛され、3人で仲良く共同生活を送った祖母、父の死後も生きぬく母、苦境にも自分を見捨てなかった妻、そして息子の嫁を見ながら、ベルモンドは4代にわたる女性のたくましさに感嘆するところで映画は終わる。
 貧困、アルコール中毒、家庭内暴力など、通常ロマを描く時の常套となっている社会問題ではなく、この映画では非合法な生業に関わるどこにでもいる人たちの夫婦や親子の問題としてロマの家族を描いているところに好感が持てる。

しかし、彼らをロマンチックに描きすぎているという批判も、上映後にスロヴェニアの女性から聞いた。その最たるものが、悲しいときには心沈むメロデイーを使い、スリルある場面には観客に注意を促すような音の使い方をする商業的音楽の処理であろう。とはいえ、このように多くの人々に受け入れられやすいスタイルを採って、ロマに対する認識を社会に促した意義もこの作品にはあるのではないかと、司会のスロヴェニア人のイェリサヴァ・ドボウシェク=セスナ先生(東京外国語大学)が語っていた。
 今回の「シネマ・ポスト・ユーゴ2014」はこうして、マイノリティー、女性、戦争の犠牲者など、社会の周辺の人たちを描く作品で問題提起をした。

追記:「シネマ・ポスト・ユーゴ2014」では、旧ユーゴスラヴィア地域の映画上映を行うにあたって、今回も柴宣弘(城西国際大学)、アンドレイ・ベケッシュ(リュブリャナ大学)、山崎信一(東京大学)の諸先生、前述のドブシェク=セスナ先生に、そして東京大学の沼野先生、亀田先生にもお世話になったことを特記したい。

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