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20230417_カスクートハムとバクラヴァと新しい机

「(うsssssっそだろお?!)」

昼休み、私はビルの前で崩れ落ちそうになった。昼休み直前に足止めを食らってやれインストールだなんだパスワードは忘れたと教えている中でやっと気をしっかり持って好きなパン屋まで足を運んだというのに「地下1階地下2階は改装中」という掲示。

「(今日こそはここのカスクートハムを食べないとしぬのに)」

このパン屋で売っているカスクートハムは口内を壊すほどの固いバゲッドに薄いハムとバターが挟まって痛みとうまみが混然一体となるところがすばらしい逸品である。
しかし調べてみたところ閉店して初夏に別の場所に移転するらしい。はああああ、としなしなになった私は残りのHPと昼休み時間をどうにか捻出して、別の百貨店のデパ地下に赴きたいやきに心惹かれながらパン屋でカスクートハムを買い、ついでにラムレーズンクリームの挟まったフランスパンも買い、口の中をぼろっぼろにするという欲望を満たして午後の仕事に突入した。

「急な案件で対応出来なくなったから今日の定例の議事進行、緒環さんにおねがいしてもいいですか?」
別部署の人からの突然のメッセージに「いいですよ」と答えて依頼された分の要件を確認し、資料をそろえている中で個別メッセージが届く。
「本来緒環さんにお願いするのは部署違いで筋が通ってない上に自分の下についてる人間に任せた方がいいのはわかってるんだけど残りの人は進行に不安があるからお願いすることになって申し訳ない」
あ、いやそれは別にいいんですよと笑ってリアクションを返してふと考える。
確かに今日は仕切りタイプが全員外勤か休みだけど議事進行に不安のあるやつしかいない会社、どないなっとんねん。

「(オー人事、オー人事)」

そう心の中で呟きながら議事進行用の連絡を周囲に流す。
「重たいから使えないよ」とソフトに愚痴を言う人の声が聞こえる。
そのソフトを専門で使っている私からすれば「バージョン違うやつ使ってるからだよ」の一言で済むのだがそれを根本から教えるには30分は優にかかる。そして3秒後には忘れられる。
めんどくせえ。ああめんどくせえ。

仕事というのは大概めんどくせえもんである。人が絡めば絡むほど、めんどくささの勢いは頂点に達していつの間にか私はカスクートハムを求める旅に出る。
人生、辛いことはカスクートハムを食べていれば大体どうにかなる。リッチな味はもちろんのことだが、口の痛みが全てを忘れさせてくれる。
おいしいたい。自傷行為にも似た食欲は私を暴走させる。
ああ、カスクートハムが食べたい。

私の議事進行は滞りなく進んだ。
いやむしろ近年まれにみるレベルでスムーズではなかっただろうか。
あっちこっちやんややんや!!!となりがちな定例は人が少なくなっただけでも随分やりやすく、「早とちりしてしゃしゃる人間がいないとちょうどいい」という結論に達する。
言いたかないが私は割とこういう無茶ぶりをうまくするっと流してしまって綺麗にまとめてしまうことが出来ちゃう人間なのだ。

一人で淡々と仕事をこなすのは好き。
だが人にやさしくする心をあまり持ち合わせていない。

【君さあ、たい焼き食べたくないかね】
【食べたい!!】

配偶者のLINEはいつも素直でよろしい。昼にデパ地下で見たんだ、今日帰りに買っていくよ、全部の味網羅しちゃおうと話すとやさしいと返される。
別に私は人にやさしいわけじゃない。「私にやさしくしてくれる人への等価交換を惜しまない」だけだ。
私が配偶者にやさしいのは、配偶者が私に今までやさしくしてくれた記憶で成り立っている。
今日だって、帰ったら晩御飯を作ってくれるし届いたばかりのデスクの組み立てだってやってくれちゃう予定だし。

「(つまり私ってやつぁ、会社の人には優しくされなくていいって思ってるんだな?)」

なかなかの欺瞞に気づいて私は思わず天井を見上げる。
まあ、会社なんて同僚なんてそんなところですけど。
あきらめたところで定時まであと一時間。帳尻を合わせて仕事をするほかなかった。

最近、仕事場でもモノトーンの服を着ることが増えた。
「魔女の宅急便」「オズの魔法使い」と言われて、やはり黒は魔法の色だと思われるのだなと気づく。
相手にやさしくした方がやさしさを返してもらえることはわかってるけど、私のやさしさなんてわかる人にだけわかればいい。
そう思ってからモノトーンの服が増えた。
パーソナルカラーを無視しきっているが実際のところ気にしなくても別に生きてはいける。
「調和する色を知っておいて今着たい服を選ぶことが出来る」っていうことの方がよっぽど大事だ。
今の自分には黒がちょうどいい。話しかけられないくらいでいたい。
透明人間になれないんだったら、せめて無機質になりたかった。

仕事を終えて家に帰る前にデパ地下に立ち寄る。たい焼きを全種類買おうとしたらちょうど売り切れてるタイミングで三つの味しか揃わなかった。あんことクリームとあんクリーム。
「(いや全部同じやんけ)」
少し意気消沈したわたしは店内を歩いている中である一つの店に気づく。
そういえばここの店に出来たんだっけ、とトルコの伝統的な焼き菓子。
「(えーっと、ぱ、ば、ばく、バクラヴァ)」
読み上げるだけで噛みそうになるその名前とピスタチオとバターをたっぷり使ったパイ生地と聞いて惹かれない者はいないとおずおずと店頭に向かう。
お店限定の缶のものと気になったのをもう一つ。

「はじめて食べますか?食べるときにはね、ひっくり返してバターがたっぷりしみてる底の方を上にして思いっきり匂いを嗅いで食べてくださいね」

そう言って丁寧に渡してくれた店員さんにお礼を伝えて店を出る。早く帰ろう。今日はチーズダッカルビだと、配偶者が言っていた。

初めて食べたチーズダッカルビは思った以上に美味しく、残った汁まですすり上げたいレベルの代物だった。汁だけでごはんがいけるやつ、である。
美味しいねえと言いつつも気はそぞろだ。
私は家具類が届くとすぐに組み立てないと気にしてしまう性分で、もうとっくに新しく届いた机に夢中になっているのを悟られていた。

「後から行くから、先やっといて」
「わかった」

食べ終わった食器を片付けてから慌てて私は自室に向かいデスクの足を組み立てる。
今のデスクとL字でつなげるから足の長さは揃えないといけない。逆算するとおよそ69センチぐらいで止める位置で足の長さを調節してーーと考えるのは嫌いじゃない。もとより今の職種と似ている考えだから楽なのだ。
私が足を作っている間に片付けを終えた配偶者がやって来て、天板を開けて整備してくれる。そこに完成した足を渡してこの指示通りにつけてくれと頼む。

あとはもう、10分もかからずに完成した。

「ああ~~~っあなたと仕事してると何も言わなくても連携が取れるからたすかるっ!!こんな風に仕事がしたい!」

日中は仕事のストレスをブツブツと呟いていた配偶者も楽しげにこんなことを話して元気になっていたし、私は部屋の半分がデスクになったことに驚嘆した。
これはさすがに新しい場所でアウトプットをしていかないといけないなと思いつつ地震になっても隠れやすそうな場所がおおくなってよかっったなんてのんきに考えている。
目の前にはピカソの花瓶も飾ってある。良い眺めの席だ。広々としたテーブルは余白も多くていい。

完成記念に、紅茶を淹れてデザートを分け合った。
半分ずつ食べたたいやきは、どれも出色だったが特にあんことクリームを合わせたものが美味しかった。
バクラヴァはバターとパイとピスタチオのうまみが渾然一体となってたっぷりとした悠然とした味をしていて、これはおいしさでいくつも摘まんでしまうやつ……と危険性を感じてあわてて缶を閉じた。

「どんな理不尽も甘い物があれば解決ね」
「ほんとそうよ」

ぺろりとデザートを平らげた私たちは紅茶を飲んでふうと息を吐く。
世の中には食べられなくて悔しい食べ物もあれば、新しく出逢ってうっとりするような食べ物もある。
自分が説明しようとしてもなかなか意思が届かないしんどい労働もあれば、何も言わずともお互いを思い合える働き方が出来る存在も居る。
表裏一体、と思いながらバターの味が流されてさっぱりした口の心地よさとついでにもう一個行きたくなる感覚に改めてバクラヴァの底力を知らされるのであった。


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