道化をやめた日
その場をもたせるために道化役を買って出てしまうことが、とくに仕事の場でままある。その方が楽だし、なごやかに穏便にすごしたいから。
それが癖になってしまって、友だちといるときにも無意味な笑いを挟むことが多くなった気がする。
このことに気付いたのは、先日久しぶりに会う友人とごはんを食べに行ったとき。
以前に会ったときとはそれぞれ少しずつ状況がが変わって、近況や今後やりたいことについて話していた。
わたしも自分のやりたい方向性について話したのだけれど、そのアイディアについては実現可能性などを考えるとちょっとむずかしいかな?と思っていたので、「これをやりたいと思っているんだけど・・・へへ、でもむずかしいかも」と、煮え切らない言い方をして笑いで濁してしまった。それはもう、自分にとっては「いつもの所作」だった。
でもそのとき、友人は笑わなかった。やりたいことについてはもちろんのこと、わたしの発した無意味な笑いにも同調せず、こちらを見据えて「そうなんだ、」と言った。
友人のことを、誰かをばかにするような人だと思っていたわけではない。けれど、ともすると現実味のない夢物語として笑われてしまいそうなアイディアを、ただ「わたしがやりたいという事実」として受け止めてくれた。
そのことがうれしくて、そして思い返せばこれまでのいろんな場面で、自分に対してさえ笑ってごまかしてきた自分がひどく小さく思えた。
大人になることのひとつは、こういうことかもしれない。
人に対して、自分に対して、ごまかさない。対峙し、向き合う。
それは逃げたり、責任を放棄しないということ。
わたしはもっと大人になりたい。
なんとかその場をしのぐことをやめて、腰を据えて、人とも、自分とも、向き合うんだ。
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