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家族が欲しいとおもう

家族が欲しいと、ひとりで暮らしはじめてからずっと思っていた。

地元には父がいて母がいて、姉もいる。

だけど、コロナの折。一年前にあったきり数か月に一度電話する程度。

何かあったとき(例えば熱を出したり精神的に参ってしまったりしたとき)にすぐに助けを呼べるわけではない。

最近私が何をたべて、何を誰と話して、何にハマってるかもしらない。

東京に来てから飲み仲間が増えた。週に1~2回はなんとなく店で会う。

マスターなんてあたりまえだけど行く度にあって、ここ数年で私が誰と付き合って何に悩んでたかも昨日何食べたかも知ってる。

プライベートで人前で泣いたのも9割方店。

赤の他人で出会って数年だけど、”今の”私を知っているのはマスターの方かもしれない。

1月1日、マスターの店で手作りのおせちを食べた。

1月2日、逃げるは恥だが役に立つ、新春スペシャルを見た。

”つらい時には辛いっていっていい”っていうようなセリフがあって、私はそこで涙が止まらなくなった。

見終わったベッドの中でもそのセリフを思い出して、泣いた。

暖かな気持ちになったとかほっとしたとかではなく、そのセリフを聞いてわたしには辛い時に辛いと泣きつける相手も打ち明けてくれる相手もいないのだと気づいたからだ。

辛い時に気兼ねなくただ辛いという、わたしはその相手が欲しいのだ。

同性でも異性でもでも20代でも60代でもいい。

アドバイスなんていらないからだきしめてくれること。背中を預けられること。そんなひとがほしい。

私はそんな人を”家族”だと形容しているから東京に家族が欲しいのだと思う。

わたしは、家族が欲しい。

(これってある意味、風見さんの一人で生きていくという決意に近いものがるかもしれない。)

昨夜感情のままに書いたメモを清書しながら、私は甘いなあとおもった。

ある程度の幸せじゃ人は満足できないのかしら、つながりの中で生きることが一番の幸福だから。​

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