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もう少し丁寧に別れを告げたかったのに、そのときはそれが最後になるとは思ってもみなかった

よく行く銭湯が2軒あった。
A湯のサウナは無音の木箱のようなサウナで一番気に入っていた。
B湯のサウナはA湯が休みの日にたまたま見つけた。

B湯のサウナは、熱のせいなのかあまり良くない歪んだ音で、ずっと松田聖子や中島みゆきがかかっている。おニャン子クラブもかかる。女湯だから女性の歌手しかかからないのかな、と思っていると「耳をつんざく排気音 タイヤ軋ませブッ飛ぶ」などとすごみのある不良ソングがかかった。

完成された世界観の全然明日がない感じの歌だったので、帰り道思わず検索してしまった。
印象的なフレーズ、登場人物の名前が出てきたので、すぐに歌が判明した。

M-BAND「アキラ」

B湯のサウナの選曲はなんとなく破滅の気配や別れの歌、取り返しがつかなくなった恋愛の歌、刺し違える歌が多く、なんでだよ…!と思ってちょっと笑ってしまうのだが、熱く暗い箱の中でじっと座って聞いていると、秩序ある世は1999年にすでに終わり、東京だった瓦礫の中でほそぼそとやっているサウナに来たのではないか?という気持ちにさせられた。

テレビがついているサウナは多いけれど、少し影があり少し投げやりな歌謡ポップスだけがひどい音でかかっているのも非日常的で結構いいなと思った。

B湯のサウナには、自分のシャンプーなどを並べて椅子を持ち込み、ほぼ住んでいるみたいな常連の人がいたのがやや複雑な気持ちになるが、秩序ある世が終わった世界だと思えば登場人物としては申しぶんがないのだった。

ここまでは4月4日頃に書いて下書きにおいてあった文を過去形にしたものなのだが、たった2週間でも考えや感じ方には変化があり、銭湯のサウナになんの気なしに行けていたころはまだ冗談半分で世界の終わりのイメージを感じていたんだったなと思いだしてそう書いた。

こうなってみるとこれまでの世界はたしかに終わったという感じがする。
ノストラダムスの大予言に怯えていた小学生だったので、世界の終わりというのは暴力によって破壊しつくされ文明が滅びることと同義だと思っていたが、終わりがすべてそのように激しいかというとそういうわけでもないとは少し考えればそうだなと思える。

今まで知っていたどの終わりとも違うけど、確実に終わった。変わったという方が正しいのかもしれない。終わりというよりは転換点としてかなりくっきりと刻まれるものとなるだろうなと私のような者にもわかる。

とにかくきっともとに戻らないことがたくさんあり、新しい秩序や常識が登場して広く定着するだろう。私も人々も、歓迎したり拒否したり、新しいものごとのひとつひとつに反応していくことになるのだろう。
もう少し丁寧に別れを告げたかったのに、そのときはそれが最後になるとは思ってもみなかった、あんなに他愛もないことが普通にできていたことの尊さ、幸せを幸せとも気づかず思いのままに享受していたんだなと痛感すること、そういうこともたくさん出てくると思う。
この大きな出来事によってもたらされるものの吉凶について考えられる日はまだ少し先になるのだろう。

2軒の銭湯にはなんとか生き残ってもらい、またふらっとサウナに入りたい。
つらいときや疲れたときによくサウナに行っていたけれど、あの日々はなんて幸せだったんだろう。

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