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アダルトチルドレンであることを認める

自己肯定感を上げるがテーマなのに、一向に上がらないから
方向性を変えてみることにした。

今年一年やってみたこと
・自分褒め日記
 →意外と私頑張ってるじゃんと認識できたが虚しくなってきた。
・「自己肯定感」の概念を忘れてみる
 →ゾンビのように復活してくる
・小さな目標を立てて達成感を味わう
 →一つでも失敗した時の挫折感が大きい。こんなこともできない自分。

人生の定義を変えてみよう。
人生を「上り詰めるもの」と考えるから挫折が増えるのではないか。
自分に期待して「もっとできる」と思うから、ガッカリして自己肯定感が下がるのではないか。

人生もっと楽しんでいいのかなって思い始めた。
「上り詰めるもの」と思って挑戦し続けて滑落してまた登らなきゃって頑張って辛くなる。
もっと笑って力抜いて楽しむ人生にしてもいいのかな。今更だけど。
好きなもの買って、好きなもの食べて、笑って。
疲れたら休んで、逃げて。手を抜けるところは抜いて。

太るかもしれないし、能力は落ちるかもしれないし、お金もなくなるかもしれない。
でも
太らないかもしれないし、給料は変わらないかもしれないし、貯金が尽きそうになったら考えよう。

アダルトチルドレン
「ケアテイカーが自分を犠牲にして過剰なまでに誰かの世話をする理由は、自分の献身によって家族の機能を維持し、崩壊を防ぐことにあります。またケアテイカーとしての役割を全うすることで、自分の存在価値を見出しているからです。

献身的なお世話の見返りとして相手から褒めてもらえたり、感謝されたりすることを求めがちで、世話自体に依存している場合もあります。

ケアテイカータイプのアダルトチルドレンは、社会に出た後も周囲の人に行き過ぎたお世話をしてしまう場合が多く、それが理由で人間関係のトラブルに発展するケースもあります。ケアテイカーの過剰な献身は、他人からは「過干渉」「余計なお世話」と捉えられてしまうからです。」
https://terapi.jp/column/characteristics-of-adult-children/

自分のことを「アダルトチルドレン」と認めたくなかったけど、これはとてもしっくりきた。役に立ってないと怖い。何も生み出せない自分はいる意味がない。何か成長できることを常にやっていなければ。
こんな自分が、何もしてない自分が、実用的ではない欲しいものを買うなんて、贅沢だ。
書いてて泣けてきた。

毒親だったわけでもないし、虐待もない。
でも「我慢」してきたことを色々思い出してきた。

ホントは欲しかったもの。
小僧寿しチェーンのドラえもんのお寿司。
大人になって「あれ欲しかったんだよねー」って親に言ったら「言えばよかったのに!」って言われた。幼稚園の当時、欲しいけど実用的じゃないし捨てるだけだから、って自分で納得させて言わなかった。

ついやっちゃうこと。でもちょっと無理してること。
対立する2グループがいたときに、仲介役になること。
場の空気が悪いときに、偽悪役になることで場がおさまること。

今日以降
会いたくない人には会わないし
欲しいものは全部買うし
行きたいとこに行く。
自分を甘やかしてみよう。

当たり前のことのようだけど、できてなかった。
とりあえず、小僧寿司チェーンはもうなさそうだから
踊る大捜査線のDVD買った。
ずっと欲しいなーって思っていたのに「なんか我慢」してて
なんで我慢してたんだろう。

楽しみ!!!

「疲れるまで働くな」
和久さんの言葉が早く聞きたい。

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