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フォトエッセイを作ったら、自分のために書きたくなった

最近は誰かに文章を読んで、その感想をもらうことが増えている。

ここでいう文章とはコラムやインタビューなど、私が仕事として書いている文章ではなく、こうやってnoteに書いたり、しずかなインターネットに書いているような頭の中をそのまま吐き出したような文章のことだ。

noteに関しては、ありがたいことに前から友人たちに感想をもらっている。ただ、今回、その感想をもらうことが増えた、というのは、そんなnoteで前に書いていた文章をまとめたフォトブックのことだ。

私にとって忘れたくなくて、とても大切な思い出だから。この美しさを共有したいから、私はあえて値段をつけて売ることにした。こんなことは初めてだった。でも、インターネットという情報の海に流して、それがいつか誰からも見つけてもらえなくなるのが悔しかった。だったら、物体として手元に残せるものにしたい、そう思ったのだ。

私は自分が書いた文章を家族に見せることはほぼない。家族が勝手に見つけてくれて、読んでくれるということはあっても。私から声高に読んで欲しいということはない。それは、ちょっとした幼少期のトラウマである。自分が良きと思って書いた文章を、家族や親戚、学校の先生に添削されたり、笑われたりするのがすごく嫌だった。

そんな私が今回初めて家族にこのフォトエッセイを送りつけた。家族の前だとあまりうまく言葉にできないことが多いし、何年経っても反抗期のような態度をとってしまう私が、本当は何を考えているのか。それを笑われたら嫌だなと、送るまでに何日も悩んでしまったが、今の私の現在地を知っていて欲しくて。それは仕事としての文章ではなくて、私が今どう生きているのかを知って欲しくて送った。もう2年も帰っていないこともある。

そんな文章に対する感想が各所から送られてきた。昔一緒にモーニングに行くのが好きだったばあちゃんからは「むかいあって話しているみたいに読めました」「いつの日にか経験したことを出版してください」と絵葉書が届いた。友達であり仕事でお世話になっている友達からは「やさしさが伝わってきた」と言ってもらえた。写真を撮っている友達に、フォトブック売ってますなんていうのはすごく恐縮だったけど、そう言ってもらえてとても嬉しかった。

別に誰かのために文章を書いているんじゃない、こういう場では。でも、いつからか誰かからの反応が気になって、自由に書けなくなってしまっていた。ただ、友人たちからの反応。PVにとらわれない紙にしたこと。そういうさまざまな理由から、自分が後から読んだ時のために、誰かがあとから読んだ時のために書いていたいと思うようになった。

もう少しだけ、自由に。誰からの反応がなくてもいいから、自分のために記していきたい。

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