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ずっと自分の机が欲しいと思っていた。

普段自分が過ごしている部屋は民宿の小さなスタッフルームで、二人分のベッドが幅を利かせていることもあり、スペースの関係上長らく机なしで暮らしている。

ところが従来筆記用具で紙にいろいろ書きつけることが好きな私にとっては、机がないのは致命的で、なんでこの部屋には机がないんだと不満や不平を夫に時々ぶつけていた。
ぶつけても「そのうちな」という夫の言葉に包まれてどこかへ放られてしまう。放られると自分でも、まぁなくても何とかなるか、とそのうち机欲求はおさまってしまう。

床に座布団を敷いて、一つだけ部屋に置いてある椅子を机にして、毎日の日記を書いている。
だけれど、ゆるくカーブのある椅子を机代わりにして書いているとだんだんみじめになってくる。椅子のカーブで字が歪んだりするとそのうち泣きたくなってくる。
いやお前机ごときでなんだと自分で自分に言いたくなるが、自分にとってはそれだけ〝机〟が大切なんだとわかってしまう。いくら机の代わりにできても、椅子は椅子だし、机は机なのだ。

そして思い立つ。
夫が何と言おうと机を買おう。
狭いだのなんだのと言われても、机を買おう。

「わたし机買う」
唐突に夫に宣言する。
虚を突かれた顔をして夫が「買えば」と言った。
「折り畳みがいいんじゃない」とアドヴァイスまでくれる。確かに折り畳めれば、スペースの問題はほぼ解決する。

なんだこんなに簡単なことだった。ただ自分が欲しいものは自分で動いて、自分で買えばよかったのだ。許可を取る相手は自分だった。夫婦、とか、オーナーとスタッフ、とか、そういう外側の関係性に惑わされていたのかもしれない。

「もっと早くこうしたらよかった」
口を尖らせて言うと、「タイミングだよ、今がタイミング」と夫がこともなげに言う。

確かに、ほとんどのことはあるもので対応してしまうわたしが、机に関しては譲れなかった。机がわたしにとって思いのほか大事な道具なのだと時間をかけて気づけた。時間をかけたから気づけた。

タイミングというのはある。
それはその人に必要な時間を伴ってから現れる。その時間が短いこともあればきっと恐ろしく長いこともある。不意に訪れるように見えて、何か大きな存在によってきちんと計算されて訪れる。

机を買うと宣言した次の日に病院通いが始まってしまい、わたしは今高松に滞在している。幸せなことに、ビジネスホテルで、きちんと机と椅子で書き物をしている。

カタチは違うけれど、確かに今、机が私の目の前にある。
一人無心にペンを走らせる。


わこ

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