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コバちゃん

コバちゃんとは高松のな夕書で偶然出会った。

これから徳島で本屋を始めようとしているタダ者ではない女性たちとタダ者ではない店主が、酒を酌み交わしながら白熱しているときに、涼しい顔をして入店し、これまた涼しい顔で本を選んでいた。

ほとんど金色に近い髪を器用にまとめ、茶と黒のブチの眼鏡をかけていた。私よりかなり若い。

そして、私は眼鏡女子に目がない。

そっと近寄ると、無表情だったレンズの奥の目が、ほっと緩んだ。
話しかけると、東京から旅行に来たという。目的地はな夕書以外は設定していない気ままな旅だそうだ。逆に、な夕書を唯一の目的地に決定した彼女は大物だと思う。

「わたし、最近まで本が嫌いだったんです」

近くに並べてあった文庫本を開きながら彼女が言う。

「小さい時から映像に興味があって、高校生で映像制作の会社でアルバイト始めて、今もその会社で働いてるんですけど、なんだかこのままでいいのかって迷ってしまって」

何かに迷って旅に出る若者は多い。
ウチの宿に泊まりにくるひとたちも、たいてい何かに迷っている。

「でも、そんなときなぜか本を読んでみようって思って、『夏の庭』って本を読んだのがきっかけで、それから少しずついろいろ読んでます」

コバちゃんの目がきらきら光りだした。

「本ってすごいんですね。見ている、てか読んでいるのは言葉なのに、頭の中には映像が映し出されて。しかも大筋は一緒でも、その映像はきっと読んでいる人それぞれ違うんですよね。映像とはまた違ったエンターテイメントだなって」

コバちゃんが言っているのはもしかしたら当たり前のことかもしれないけれど、私には響いて聞こえた。それは本の持つたくさんの可能性のひとつだし、本に限らない〝言葉〟の真理を再認識させてくれたように思ったからである。

コバちゃんは映像という一つのことを続けてきたことで、映像で成せる自分の限界を知りつつある。だからこそ、ほかの分野を学ぶことで、その映像の限界を突破しようとしているのではないか。
迷っていると表現しているが、それは、無意識のレヴェルでの映像世界への挑戦と愛に他ならない。

迷っている若者は、弱っていると見せかけて実はパワーがある。
次の場所へ飛び立つための、内なる力だ。

「わこさん、なにかオススメありますか?」

私はそっと、梨木香歩の『西の魔女が死んだ』をすすめてみた。
本好きになるコースへと、ちょっとだけ誘導してみたつもりである。


わこ


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