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ちいさい世界だし 20240408

思い返してみれば、「折り合いをつける」ということが苦手だったなぁと。

色々なことに対して、常に0か100かで対応していて、そりゃ疲れるよね、と今となったら笑ってしまう。

好みに対しても、嫌いか好きかしかなくて、「別にどうでもいい」「なんとも思わない」というグレーゾーンがなかったんですね。

常に白黒つけて、善悪つけて、goodかbadでしか判断しないから、世界が広がらないし、居心地がわるい。

前の夫に「わこは世間知らずだね」と何度も言われたけど、確かにそうだったのだと、離婚してから反省しきりでした。

と、こんなことをおもったのは、先日、男木島から豊島に遊びに来てくれた豊爺(とよじい)がクセつよだけど、とても好ましかったから。

「気の合わない人はいるけどさ、人間同士だもの、色々あるわな。小さい世界だし。でもそういうこともあるよな、とか、そういうひともいるよな、とか、おもう訳ヨ。別におもねらなくていいし、敵対することもないでしょ。あんたはそこで暮らしてね、おれはこっちで暮らすから、ってそれだけのことよ。」

豊爺にとっては世界は狭くて、嫌いなひとだって人間で。
嫌いって感情は否定しなくていいし、一緒にいる必要もないんですね。

不快な場所とか、不愉快な話とかもそう。

わたしにとっては嫌なものでも、だれかにとっては必要なものかもしれない。

判断を下すのは、わたしじゃない。

そうおもえるようになってからは、不必要に腹を立てることも少なくなりました。

「自分以外のなにかをみとめる」ということが「自分自身と折り合いをつける」ことに繋がるのだということ。

ちょっと遅かったかもしれないけど、わかってよかったなとおもいます。

豊爺。長生きしてよね。

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