見出し画像

自分のために行動する

自分のために動いたことが
周りのためになる。
そう実感した、11年間の思いと1年間の戦い。

「どうして、働く母は認められないのか」
ここから始まった、私の思い。

昨年の9月に仕事を辞めると言ったとき
旦那さんが言ったのは
「辞めるのはいいけど、戦ってからやめろ」
だった。

それ聞いた時は、そんな大きな気持ちないし
文句いたって変わらないし
目立つの好きじゃないし
ひっそりとやめていきたい。
それで何がダメ? そう思ったのです。

やめたい理由。

時短者には役職をつけない
子を持つ母は、認められない

私はそれが一番大きかった。
時短といっても、
残業してたし、出張行ってたし
必要であれば、朝、早くも出勤した。
「時短」と名がついているだけで
仕事量はフルタイムの時と何も変わらない。

このまま働いていても、
自分が認められることはないし
こどもとの時間を削ってまでも
この仕事に意味があるのか
そう思い始めたら、もう働けないと思った。

働く理由って人それぞれだと思うけれど、
私の働く理由はいつでもどこでも
「認められること」


それは、例えば
評価として形になることもあるし
言葉として心に残ることもあるし
お金として対価になることもある

19年働く会社では
「認められること」が
どうしても感じられなかった。

例えば、私が結婚するときは
総合職で結婚する人がいなかったから
「結婚しても働かせてください」
と言う誓約書があった。

「働きます」じゃなくて「働かせてください」
なの。
それでも働いてきたのは、
色に関わる仕事をさせてもらっていたから。
日々、日々、学ぶ機会があった。


でもね、2回目の育休復帰の時、
「こどもいるから役職はもうつかないからね」
「同じ部署に戻れるとも思わないで」
そうはっきりと言われて
息子1歳で復帰の時に
「社内でパートさんの人員整理をしてるところだから
今、育休者に戻ってこられるとまずいんだよね。
あと1年、育休伸ばしてくれない?」
そんな風に言われた時、
今まで私がここで働いてきた意味は
一体なんだったんだろうと
虚しくなりました。

この時から、この会社にこの先長くいることは
ないだろう、そんな風に思っていたのだけれど

旦那が言うように戦って辞める気など
サラサラなかったんです。

辞めるのに、なぜ、
改革をしてやめていかなければならないのか
そんなふうに思っていた。

それでもね、辞めるのに対して
会社の上司、管理部、常務とたくさんの方とお話しして
やめたい理由を話していく中で
ほんとにね、いろんなことが
小さくだけど大きく動き始めたんだよね。

約1年という時間がかかったけれど、
会社は
「時短者に関係なく能力に応じて役職をつける」
に変わり、
事務に権力を持たせないと
今まで事務職にも役職もついてこなかったけれど
今回の人事で事務にも役職がつくようになった。


自分のために小さく小さく口にした思いが
大きく会社を動かした。

自分のために動くこと
それは、
周りのために動いてるのと
同じこと。

てぃ先生も言っていたけれど、
自分が満たされることは周りが満たされることと同じなんだよね。


そして、私は満たされない状況の時
「働くママの自己肯定感をあげたい」
と色でママを癒す講座をしたかったのだけれど
今回のことで気づいたのは
それを求めていたのは私自身で
伝えたい内容も
「満たされない私」が「満たされたい」
ことだった。

それって、伝わらないんだよね。
だって、
こどもの頃、ピアニストになりたかったけれど
なれなかったからこどもにその夢を託す
それと一緒で
相手はそれを望んでいないから。

自分を満たすために誰かを使って何かをするのは
何も良い結果を生まない。

旦那が言った
「戦ってやめろ」は
自分のこれからを考える上でもとても大切なことでした。


その戦いって、
「会社」でもなければ「誰か」でもない。
「満たされない自分」と戦って納得しろってことだった。


そして、この戦いの中でやっぱり思うことは
働くママは「認められる環境」が必要だと言うこと。
それは誰かからの評価でもいいし、
自分自身の評価でもいい。

子育てや家事に評価がない。
だからこそ、認められることは

自分が自分でいるために

とても大事なことだと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?