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箱庭

人生は箱庭である。この街も、学校の教室も、スマートフォンの中でさえも。

人は常に何かに囚われながら生きている。まるで堅牢な壁に囲まれた世界。

そんな自由のない息苦しさに耐えきれなくなって、仕事を辞めた。もうあの意地悪上司に悪態をつかれることもなければ、意味のない残業に苦しむこともない。

毎日朝早く起きなくてもよくなって、暇と思える時間が増えた。

植物を育ててみる。毎朝、適度な水をやる。

「おはよう。」

朝の挨拶をしたら、朝食を作る。トーストと、マーマレード。時々目玉焼き。
トースターからいい匂いがし始めたところで、コーヒーを淹れる。ほんの少しのミルクと、角砂糖が1つ。

朝のこの時間が、一番好きだ。窓から差し込む朝の光と、美味しい朝食にコーヒー。ゆっくりとした時間が、部屋に流れている。なにからも囚われない世界がそこにはあった。

そうだ、今日は花を買いに行こう。家からそう遠くないところに、小さな花屋がある。育て始めた植物もそこで買った。笑顔が素敵で柔らかな雰囲気の女性が働いているはずが、今日もいるだろうか。つい先日立ち寄った時に聞いた話だと、彼女には恋人がいるそうな。仲良くやっているのか聞いてみるのもいいな。

人生は箱庭である。この街も、学校の教室も、スマートフォンの中でさえも。

以前はそう思っていた。何かに囚われて、自由のない世界。誰もが息苦しく生きている。そうと思わなければ、自分自身が消えてしまいそうだったから。

着替えて外へ出れば、暖かい匂いがした。季節は春へと移り変わっていく。そんなことにも、今まで気づけずにいた気がする。

思えば箱庭に自ら囚われていたのかもしれない。否、箱庭であろうと、希望を忘れず生きている者もいるのだと。今はそう思える。

ゆっくりと歩こうか。堅牢だった壁の外に、美しい花畑が広がっていると、想像しながら。

今日も生きている。

#小説 #短編小説 #ショートストーリー

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