周りの死はこわい。

自分以外の人や動物の死はすごく怖い。
自分の死は平気で望むくせに。

昔からたくさんの動物を飼っている家だった。
いつも何かの動物はいて、騒がしい家。
だから、死はすごく身近にいた。
それ以外にも早くに祖父母を亡くしているから、死について考える機会は多かった。

両親はなんて事ないように死を語る。
(病院から)帰ってこれないかもしれないね、とか、もう長くないかもしれんね、なんて。
私はもうすぐ来る死も、すでに虹の橋を渡った人や動物のことも上手く冗談に出来ない。
忘れてはいけないし、気軽にでも話す方がいいのだろうと思う。
でも、話そうとすると幸せな思い出と亡くなる間際の姿がフラッシュバックして、泣きそうになるから口を噤む。
そのくせ自分の死は気軽に望む。背反した考え方だ。
私にとって自分の命より周りの好きな人や動物たちの命の方が大切で、簡単に離せない存在なのだ。


話せない動物も、懸命に生きた人たちも、最期に幸せだと感じて亡くなってくれていたら幸せだ、と思う。
うちの家の子になって良かった、この人と出会えて良かった、と思ってもらえれば何か許される気がするから。
酷く自分勝手で、どうしようもない祈りだけれど。
あちらの世界では苦しみも悲しみもなく、ただ幸せでいてほしい。
もしくは、1分1秒でも長く生きていてほしい。
最期に話せる、会える時間が欲しいから。
人間も動物も最後は聴覚が残るらしい。だから、感謝や労いの言葉を届けてあげたいのだ。

あぁ、傲慢な願い。
それでも、祈らずにはいられない。
彼らの死を怖がらずに受け止めるために。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?