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「失って初めて気づく」〜CDを全部処分した話〜

約二年前、持っていたCDをほとんど全て処分した。正確に数えてはいないが、たぶん数百枚はあったと思う。

なんだか億劫になてきたから

小さな部屋にぎっしりと詰め込んだCDを、引越しの度に運ぶのは大変だった。愛着はあったけど、正直いって面倒くさかった。そして、時代の流れによって、例に漏れず私も音楽の聴き方が変わってきたし、そもそも音楽を聴かなくなってきてしまった。あらゆる娯楽があふれかえって、追いつけなくなってきた。日常に疲れて音楽が入る隙間もなくなって、CDにうっすら被るホコリの層が増していった。

実家の母から電話

「これ、要るの?要らないの?捨てていい?」という連絡がよく来るようになった。実家に残る私の所持品をもスッキリさせたい母の衝動に、歯止めは効かない。母は、こんまり先生が登場する以前から無類の片付け好きで、「ミニマリスト」という言葉が世に出回る前に、すでにその素質を持ち合わせていた。自分の嫁入りダンスや鏡台も、容赦なく捨てる人だ。

ただ、母の気持ちも分からなくはない。
義父母の家を、たったひとりで片付け上げた。釣りが趣味で小料理屋を営んでいた祖父母の家には、大量の釣り道具と小さな船、そして食器の山。この経験から“持たない生活”を好むのは理解できる。

懐かしい音楽

実家の押し入れからは、8センチCDが出てきた。小沢健二、米米CLUB、JUDY AND MARY、マモーミモー野望のテーマ、大事MANブラザーズバンド……もうこれを聴く機会も機械もないわけだ。とほほ……

カセットテープも出てきた。嘉門達夫の替え歌メドレーや、荒井由美のカセット(カラオケバージョン※本人の歌唱は入っていません)や、宇多田ヒカルのラジオ「WARNING:HIKKI ATTACK!!」を録音したものも出てきた。

MDも出土。自作のMDにはカジヒデキとBEAT CRUSADERSとCAMERA OBSCURAが一緒に入っていて、この取り合わせになんだか少し笑えた。

MDウォークマンでよく聴いていたな。

ただ、思い出にのんびり浸っている時間はない。「笑う犬の生活」の小須田部長のように、さっさと「いるもの」と「いらないもの」を分別しなくてはならない!

なんだか「考えるのも」億劫になってきた

母に急かされ、「要るもの」と「要らないもの」を判断する脳みそが疲れてきた。

えーい!もう、いらない、いらない。全部いらない!だって、何年も何十年も聴いていないもん!!

半分、投げやりになりながら、判断する労力から解放される喜びを感じつつ、私は無心にCDを「いらないもの入れ」に詰め込んだ。それを「ゴミ」と呼ぶことになるのだろう。

遺伝子の力で

無類の片付け好きで、根っからのミニマリスト気質の母から受け継いだ遺伝子が、急にうずき始めた。自室に帰ってからも、妙な片付けモードのスイッチが入ったままだ。

CDをiTunesにぶち込んで、CDその"物"はメルカリや買取サービスを通じて、どんどん手放した。"物"として持っている喜びを捨てて。

「何かを手に入れるためには、何かを手放なさないと入ってこないから〜」

どこかで聞いこの言葉を頼りに。



あれから二年が経ち

青春時代のCDとおさらばした私は、すっかり音楽を意識的に聴くことがなくなり、巷で“流れている”音楽だけが私の日常に溶け込んでいた。

部屋はスッキリし、気分もスッキリしたような気がした。集めきれない物と捨てきれない気持ちで、どっちつかずなのは変わりなかったけど。

日々の味気なさに飽きてきたのか、今年になって手放して空いた場所に、再び音楽を入れていきたくなってきた。いろんなエンタメにもっと触れたいと思う気持ちが久々に湧いている。noteで文章を書くことや、短歌にも興味を持ちはじめた。

これが「何かを手に入れるためには、何かを手放なさないと入ってこないから〜」の収穫なのか??

そんなある日、地下鉄に乗りながらスマホをながめていると、この歌が目にとまった。


へその緒はときめかないから捨てた方がいいのでしょうか? こんまり先生

笹 公人『終楽章』


地下鉄の黒いガラスに映る自分と目が合った。

お母さん、私のへその緒どこいった?

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