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精神的自立についてデザインの現場から語る。

私は自己開示を何よりも優先する人間だ。誰がなんと言おうと。

そこには自分なりに導き出した明確な答えがあるから。

海の日の今日。世間は四連休。けど、私はお仕事。

世間は働き方改革だとか、ワークシェアだとか、ゆとりとか言われているのは知っている。

確か数年前までは働け!働け!と言われていたと思う。

けどいつの間にか、働きすぎは悪だと言われるようになった。

でも個人事業主だから、全て自分の裁量で仕事ができる。際限なく。

だから私は自立を選んだ。だから独立した。

だけど、それを人に強いることは絶対にしない。

しないのだから、逆もまたそうあって欲しいとは願う。

仕事が趣味です、と堂々と言える世の中になればいいな、と思う。


胸が痛くなる自殺のニュースを聞くたびに、我ことのように心が痛む。

報道を見ていて、私自身が思うことがある。

悩み、苦しむことは、それほど悪いことだろうか。

自殺した人が「悩んでいた、苦しんでいた」だから「自殺した」

背景を見ないまま、そう端的に語られることこそが、自殺を招くのではないかと思う。


休日返上で人の役に立ちたいと思って働くことが、ブラックだと言う価値観で語られることで、窮屈になることはありはしないか。

悩み苦しむことが悪いことのように語られることで行き詰まることはありはしないか。

悩み苦しんでいることを吐露することで、「病んでいる人」となる、

またそれらをその人から悩みや苦しみを取り除くことが正義なのか。

私は、そう言うことも含めて寄り添うことが、とても大切だと思う。


冷たく感じるかもしれないが、苦しんで悩んでいるその人が、その人らしさなのだと受け入れることで

いろんなことを解消できるのではないだろうか。

人生が楽しく幸せに溢れている。それを願い望むことは当たり前だ。


でも、精神的自立とは、楽しく幸せな人生だけを望むことなのだろうか。


悩み苦しむことがイコールそのまま「病む」と言う図式にしてはならないと思う。


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