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価値観は自分が得た情報から作られてるんだろうなと思った。

物事の考え方は自らが浴びている情報から作られている。

と、シャワーを浴びながら思った。以前から、ものの考え方や価値観は産まれてから形成されるのだと思っていた。

赤ん坊の頃は誰もが真っ白な状態で誕生し、親をはじめとした周りの人間の価値観に影響されて育まれていくのだと。でも実際には周りの人間だけではないんじゃないか。

例えば、テレビの影響力はとても大きい。僕は今でこそ朝ドラくらいしかテレビを見ていないのだが、子供の頃はテレビ大好きっ子だった。

アニメが好きだったし、小学校高学年になる頃にはバラエティ番組ばかり見ていた。特に中学生の頃には「ダウンタウンのごっつええ感じ」など、この番組を見ていないとクラスで会話に馴染めないようなものもあった。

大人になってテレビの一方的な情報から離れると、子供の頃に感じていた不安のほとんどはテレビから受けていた影響なのだと気付かされる。テレビ番組にはイジられる人がいる。そのイジられる立場になるのが怖かった。

太っていたりガリガリに痩せていたり容姿が平均と違うとイジられる。頭の回転が遅いとイジられる。運動が苦手だとイジられる。貧乏だとイジられる。オープンな性格でないとイジられる。

でも、実際にはそんな事は、ほとんどない。

人間関係はしっかりと人と人として付き合えば、お互いに理解し合える。それでも分かり合えない人は、きっとまだテレビなどの呪縛の中にいるのかもしれない。

ニュースだって価値観を植え付けてくる。凄惨な事件や、不幸な事故など不安を煽る出来事ばかりを教えてくる。世の中はこんなに恐ろしくて、気をつけなければいけないんだと。むしろ気をつけていても不幸が襲ってくるから世界は怖いんだと、ただ不安にさせてくる。

価値観を植え付けてくるものはテレビだけではない。

インターネットや本だってそうだろう。ネット掲示板やニュースサイトのコメント欄で、匿名をいい事にあらゆる物事に好き勝手に文句を言う。TwitterなどのSNSにもそういった面があるだろう。

僕はこのままでは肥大化しすぎた不安に押しつぶされて、厚さ2mmくらいのぺらんぺらんになって風に吹かれて飛ばされてしまう。空高く舞い上がった僕はもう二度とこの地を拝む事はないと固く心に誓い、グッバイと小声で呟く。

そんな事にならないためにも、得る情報を選択すればいい。不安になるものは避ける。視界に入りそうになったら、これは違うとブラウザを閉じればいい。

むしろ、自分の気持ちを盛り上げてくれるものを選べば前向きになれる。なんとなく好きなもの、前向きな気持ちになるもの、そういったものを取り入れる事で価値観は変化していく。不安に囲まれていた心は晴れやかになり、舞い上がった僕は小躍りするだろう。

と言っても、なんでも鵜呑みにするのは良くないのだろう。本でも、映画でも、ドラマでも基本的には製作者・著作者の考え方が詰まっている。それをそのまま取り入れるのではなくヒントにするくらいが丁度いい。

そのヒントを元に考えればいい。我々人間は考える事ができるからだ。自分の頭の中だけで考えれなかったら隣の人と話せばいい。そうして外に発散する事で自分の考え方と相手の考え方が混ざって新しい価値観に出会えるかもしれない。

何を書きたかったのか良く分からなくなったので、少し話でもしてこよう。


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