感情がない自分語りをする話

記事書かなきゃって今気づきました。眠いです。あと90分か。軽めに行こう。感情がないって言われる話。いやめっちゃタイトル重いやんけ。なんならこのタイトルだけで10ギガくらいあるわ。情報量の話なのか雰囲気の話なのかはっきりしなさい僕。ごめんなさい。眠いんです。

クーラーもいれたし始めよう。

感情ある?」って言われるひと~? いえーい、なかまなかま。

感情が表に出にくい、声が平坦、そんな感じなので僕は家族にさえ「お前は感情が薄いからなぁ」と言われます。ガッデム。……まぁそういわれても特に怒ったり悲しんだりすることもなく「まぁたしかにな?」と頷いてる段階で言い逃れはできません。僕は感情が薄い。希薄。ぺっらぺらですよ。

昔から本を読んでいたせいでしょうか? それとも親に説教されたり怒鳴られるたびに緊張で泣けずに固まってたから慣れちゃったのか? うわっつらでも人生案外生きていけます。それが偽物だというのならそれも結構。感情が薄いというだけで、自分に嘘をついて上っ面に笑顔を浮かべてるわけじゃないので、悪いことはしてないはず。ただ無表情にしていたら怖いじゃん?

感情が薄い、という状況を説明するのもまた難しいな。感情が濃い(?)人の気持ちを経験したことがないので。ただ、……感情が湧きにくいんですよ。状況をみて「ああ、多分今悲しいんだろうな」って自分の感情を推察してる時もあります。私は前の記事でも話した通り、めっちゃ鬱になってた時期があったのですが、耳鳴りや歯ぎしりによる歯痛、頭痛であちこち病院に行き「ストレスですね……」ってあちこちから言われるまでは自覚がほとんどありませんでした。え? 僕ストレスなん? どうしたんだよ~……って今までの状況を振り返って、「多分受験のストレスだろうな……あんなこととかこんなことあった時多分しんどかったんだろうな……そういえば最近友達とも話せてなかったもんな」と原因に気付く、みたいな。

……これ説明難しいね?!

常に自分を俯瞰で見てるイメージ、と言えばいいのかな。第三者目線で自分を見ている節があります。小説を書く時、これは結構生かされるのですがやっぱりどこか説明的で味気ない。感情をわざわざ言語化して理解しようとするのが変なのかもしれませんね。前に精神科の先生に一度だけお話を聞いてもらったこともあるのですが、全部説明しちゃうんですよ。自己完結。

「僕最近、息が苦しくて眠れないことがあるんです。多分原因は受験のストレスで、最近親とすら話すのも嫌になっちゃってストレス発散できてなくてため込んじゃったんだと思うんです。ごはんも食べる気がしないので、カロリーメイトばっか食べてます。食べないよりはましだと思って。それにあと少しで受験も終わるし、死にたいと思うこともあるけど、家を出れば自由だろうし、頑張るしかないんでしょうね……」

みたいなことを聞いてもらってました。先生は頷いて「自分の気持ちがちゃんとわかってるんだね」と言ってくださったのを覚えてます。僕が先生だったらこんな人、カウンセリングしにくくってやだな~と思います(笑)。

感情が薄くても相手の感情が分からないわけじゃないので、あまり嫌われたりはしませんでした。むしろ感情的にならず、相手の気持ちを整理したり安心できそうな言葉を投げかけるのが得意なほうなので、あろうことか僕が友達の相談をよく聞いていました。ただ、愚痴とか相談事って……自覚がなくても聞いてるだけで負担がかかるんですよね……。両親がお互いの愚痴をよく僕にこぼしていた時もそうでした。だから人に愚痴るのも僕は苦手。そうやって本音を言わないからまた「感情ある?」って聞かれる。

僕ったら生きるの下手か??

ただ、こういうのっていまからどうこうなるものじゃないなとも思います。今書いてるnoteだって、突き詰めれば精神科の先生に話を聞いてもらった時に話したこととやってることは似ていますもん。自分の気持ちや考え方を整理して纏めたいだけ。小説もそんな感じで書いてたなあ(スランプ中)。 だから感情が薄くても別にいいかなと思ってる僕です。むしろ面白いかなって。自分が周りと違ってる、なんてどでかい勘違いはしてないつもりだけれどそれはそれとして自分のこういうところは個人的に気に入ってます。

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