嫌いな食べ物

 仕事がひと段落して、しばらくぶりにカフェでお昼を食べようと思って外出した。何を食べたいか、自分のおなかに問いかけたけど、思いつくのは、「パスタ、パスタ」
最近、しみじみ思うのだけれど、生き物は、摂取したものでできている。体も、頭も。このところずーっと、とある教材づくりでパワーポイントのスライドばかり作っていたら、考え事すらスライド方式になっていた。キーワードと矢印で明解な結論を導く、みたいな。頭がそうなら体もそうで、何でも好きなモノ食べていいんやで?なにがいいん?とおなかに訊いても、私の胃腸は日々摂取しているものしか思い浮かばない。
 発想が貧困なのではなく、摂取している素材が貧困なのである。
 といっても、強風吹きすさぶ中、未知なる飲食店を開拓するため歩き回る気力が無かったので、結局ご近所のいつものカフェに来た。
 「ぱすた、ぱすた」
と、おなかが言うので、いくつかのパスタメニューの上で視線を走らせ、どれにしようか迷う。選んだのは、「カルボナーラ」だった。

 席に着いて、出来上がったパスタが運ばれてきて、一口食べて、思った。
 違った・・・、これじゃなかった・・・。
 うっかり忘れていたが、私はカルボナーラが好きではなかったのだった。(そんな大事なこと忘れる?!)。
 何が好きじゃないって、ベーコンが油っぽいし、しょっぱすぎるし、野菜が入っていない(この店のは)し、こってり感がくどすぎて喉の奥に残り続ける。
 まったくもってカルボナーラを食べる資格がない人の感想でしかないのが、カルボナーラ好きには申し訳ないけれど。

 せっかく久しぶりののんきな休日。カフェでランチを食べて、コーヒー飲みながら読書をする、という至福の時間を過ごすはずだったのだが。食べ物のチョイスを失敗するのは、痛恨の極み。
 と、書いてはいるけれど、じつはそんなに衝撃を受けてはいない。なぜならば、カルボナーラといえば、パスタ界のいち横綱ともいうべき実力者。普段だったら、決して交わることはなかった、その支持者が繰り広げる一大勢力圏に、私は今日触れたのだ。

 自分が好まないものが、世の中にはある。全くそりが合わないモノ、全く同化できないもの、全く周波数がちがう、異質な存在が、この世には実はうじゃうじゃいることを、幸せに快適に過ごしていると、つい見逃してしまっているのだから。
 自分に合わない、不味いものを食べてしまったときこそ、世界の広さに目が開かれる。
 と、いっても胸やけがして気持ち悪いんだけど。。。

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