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オースティン、テキサス──留年生の出稼ぎ日記〈ヌードデッサン編〉

身体の解放区

 アニメフリークのジャコビーに誘われて訪れたデッサン教室は、オースティンの空港近く、ピンク色の外壁に覆われた巨大な倉庫のようなところにあり、中に入ると木製の細長い手作り椅子やイーゼルなどが、そしてそれらに囲まれた中心部にモデル用の土台がある。
 早めに着いたおれは、紀伊國屋オースティン店で購入したスケッチブックと鉛筆を広げつつ、正面で準備をするモデルの横顔を悠揚にスケッチし始める。倉庫の中には扇風機が一つしかなく、常に最高気温が四十度を超えるオースティンの熱気と相まって建物内部は巨大な蒸し風呂のようだった。
 ジャコビーの到着と同じころ、管理人が本日のタイムテーブルを説明し、いよいよモデルが自身を覆っていた一枚の布を取り去る。露わになる乳房、陰部、参加者の視線が一点を見つめる、繰り広げられる大胆なポーズ、紙を擦る音、そして爆音で鳴り始める音楽…… 最初の十分は三十秒ドローイングで、デッサンというよりはクロッキーに近い。いかに素早く無駄なく全体像を捉えるか。はじめてオースティンで絵を描く、クロッキーなどやったことがなかったおれにとって、これは途轍もない難題だった。

迷いがあり、かつ正解の線を一つも引けていない初期のドローイング

 描きながら、方法そのものを変えなくてはいけないことを同時に悟り始めたおれは、クロッキーとして全体像を捉えることを後回しにし、極部の描写に注力することにする。

谷間といった二次元美少女イラストに騙されてきていたが、実際の乳房は密接しているというよりも独立した二つの丸だと捉えるべきである、との知見を得る

 この二枚目の右上における、時間がなくて省略した前腕が契機となり、以降の三十秒ドローイングは人体を立方体の集合として描写し、全体像を捉えることに専念するようになる。

こうして立方体の集合として人体をスケッチすると、描き込もうとするときにも全体が狂いにくい

 そうして三十秒ドローイングは終わり、管理人の合図とともにすぐさま三分ドローイングへと移行する。モデルが三分ものあいだ同じ体勢を続けなくてはならないのもあって、大胆なポーズ自体は減るものの、立方体画法を獲得したことで画力が飛躍的に向上していることに気づく。

以前の自分と比べ、デッサンの全体像が狂いにくくなっている

 そして三分ドローイングの終了とともに休憩。ジャコビーとおれが外で涼もうとすると、丁寧に口髭を揃えた汗だくの男が声をかけてきた。ジャコビーの友達らしく、私にも仲良くしてもらい、互いのデッサンを見て批評し合う。休憩時間は三十分と長く、暇になったおれたちは互いの顔をスケッチし始めた。

かなり気に入っている一枚

 そして休憩時間が終わり、三十分ドローイング。三十秒を終えたあとでは、三十分と聞くと途方もなく長い時間に思える。影も、指の先までも、おれの好きなだけ描き込める。時間制限によって極限まで集中力が研ぎ澄まされ、熱された倉庫内では汗もアドレナリンの分泌も止まらず、絵を描くプリミティヴな快感に身体が震えるようだった(ガイドラインに接触しそうなので、画像をアップロードすることは控える)。
 三十分のドローイングが終わると、モデルの方に絵を見せて感想をもらう。さっきまで裸を見ていたはずだが、時間に追われるデッサン時には劣情を抱く余裕すらない、「裸のこのひとが、さっきまでおれの視界に映っていたんだよな……」と不思議な気持ちになりながら倉庫を後にする、おれは確実に一つの居場所を発見したようだった。

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