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ときには泣いて大人になる

サザンオールスターズが好きだ。1980年代生まれのわたしにとって「世代ドンピシャ」とまでは言えないものの、10代後半からアルバムを買い集めた。

『女呼んでブキ』みたいに、今の時代には公共放送で流せないだろう楽曲も多くある。それもまたサザンの「味」だ。すんごい曲、つくったもんだよねえ。そう思ってにやりと笑うとき、世にたくさんいらっしゃるサザンファンと、まるで共犯者のように連帯感で繋がる気がする。

わたしがいちばん好きなのは『さよならベイビー』(1989年)。歌詞だけを見れば、恋人が心変わりしつつあることを察した男の心情を歌ったものだと、わたしは理解している。本来は映画のためにつくられた曲なので、作品やそのシーンに合わせたイメージがあるのだろうと思うけれど。

彼女が自分に心までは抱かれていないことを知るせつなさ。揺れるひまわりを見ながら恋の終わりを感じる夏。歌詞上ではそういうエッセンスが詰まった曲だ。

そこに現れる名フレーズ。

泣いたりしないで大人になれない

サザンオールスターズ『さよならベイビー』(作詞:桑田佳祐)より

彼女の心が自分にないことを感じ取った男がこれを言うわけで。うーん、せつない。

この曲を繰り返し聴いていた20代の頃、わたしにもいろいろ悲しいことがあった。思春期から青年期にかけてのあの年代は、自分が不幸のど真ん中にいるとか、自分だけが真の生きづらさを知っているのだとかいうふうに、勘違いしやすい。わたしもそうだった。

ただ、思い違いにしたって悲しいものは悲しい。7年つきあった彼氏にふられたときはこの世の終わりじゃないかと思ったし、仕事で失敗してはふがいない自分を消してやりたいと落ち込んだ。

そんな悲しさをこらえて毎日をやり過ごそうとするとき、泣いたりしないで大人になれない事実をいつも心に置いていた。しょっちゅう泣きながらも、「泣きもしないでなにが大人だ」と自分に言い聞かせて踏ん張った。

おかげでなんとか生き延びてきた。

みんな泣いて大人になるんだと自分を鼓舞した時期もあったなあ、と思うと懐かしい。

おばさん心(老婆心と書こうとして手が震えたので「おばさん心」で!)から言うならば、若い方にはたくさん泣いて、たくさん立ち上がってほしい。ときどき周りに助けを求めながら。その先にまた見えてくるものがきっとあると思う。

そういえば最近泣いていない。いつのまにか図太くなり、少々のことでは泣かなくなった。情けなくて愛おしいあの時代を思い出したくて、『さよならベイビー』が収録されたアルバム『海のYeah!!』を家の中で探しているのだけれど、なぜか見つからない。

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