卒園で手ばなすあれこれがさみしさを増幅させる
双子の娘たちが幼稚園を卒園した。卒園式当日はきれいに晴れて、おろしたての白のハイソックスが日差しによく映えた。「第○回 そつえんしき」と書かれたボード前で、おきまりの写真撮影ももちろん、した。
式の途中、娘たちが卒園証書を受け取ったり、卒園ソングを歌ったりするのを不思議な気持ちで眺めた。彼女たち、成長したなあ、と思っていた。
実際、大きくなったのだ。入園時からの身体測定記録を見返すと、長女は20センチ、次女は17センチ、身長が伸びていた。
制服はもうつんつるてん。膝を大きく覆うほど長く、腰回りもぶかぶかだったサスペンダーつきスカートは、「どこの不良少女よ?!」と問い詰めたくなるほどの超ミニだ(わたしの世代的な感覚による)。
卒園式を終えて、お世話になった先生方と写真を撮っていただいてからたどるいつもの道。そうだ、この道を娘たちと三人で歩いて登園することも、もうないのだと思うと、ちょっと胸がざわついた。しゃっくりが出るのかと思って、つい立ち止まってしまった。
徒歩通園とはいえ、雨の日は大変だった。入園したての頃、まっすぐ歩いてくれない娘たちとは、かならず手をつながなくてはいけなかった。だから傘がさせない。レインコートを着こんで、サブバッグにカバーをかけて歩く。
強い雨の日、レインコートを羽織っているのに濡れながら、娘たちとそれぞれ手をつなぎ、園まで歩くことはもうない。今の彼女たちは、傘をじょうずにさせる。登園路を歩く必要もない。「あー、雨、めんどくさーい」と言いながら支度した日は遠くなった。
「今日のお給食なにかなー」と言いながら、娘たちが制服を着て歩くことも、もうない。
春は別れの季節だというけれど、誰それとお別れすることよりも、誰か、またはなにかを取り巻く数々のアクションを手ばなすことに感傷的になってしまう。
母方の祖母が亡くなったとき、祖母の死そのものを悼むというよりは、祖母を取り巻いていた空気や優しい言葉たちにもう触れられないことがいちばん悲しかったのを思い出す。あのとき、不在という空気が強烈に存在感を増していたなあ、と。
そして、祖母はよく言っていた。「あとから『ああしとけばよかった』って思うことばっかりやな」。昔のわたしはよく意味がわからなくて、聞き流していた。
でも、今なら少しわかる。わたしたちは進むとき、いつも後悔を携えて歩く。
毎日の登園路、もっと楽しく歩けばよかった。「ちょっと、前向いて歩いて!」「危ないよ!」ばかりではなくて、娘たちの成長にもっと目を凝らしていればよかった。必死さのあまりそれどころではなかったからこそ、後悔が残る。
夜、夫と「お疲れさま会」をした。ほんの少しのチューハイでいい気分になったわたしは、祖母のことをやたらと考えていた。あの後悔の正体は、たぶんわたしには一生わからない。でも、ちょっとはしっこをつかんだ気もするなあ、とか。おばあちゃん、亡くなってからずいぶん経たっても一部しか解けないなんて、謎は高度すぎたよ。
「あかん、せつなすぎて涙腺おかしくなるわあ」
登園路、制服、娘たちのたよりない足取り。そういう、幼稚園を取り巻いていたあれこれがわたしたちから離れていってしまった。あー、さみしい。
娘たち、卒園おめでとう。これからも母の後悔は増えていくだろうけれど、そんなの気にせず自分の道を歩いてください。
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